左大文字地図

火床53個あり一画48m・二画68m・三画59mの長さとなっている。
 「左大」送り火 送り火「い」
   
 
 点火材:松割り木350束・護摩木3000束

左大文字送り火

点火の起源

 万治元年(1658)の『洛陽名所集』には記載がなく、寛文5年(1665)松生元敬著の『扶

桑京華志』には

 「大文字、北山村の西山に火を以て大の字を燃す。 伝えるところ、これまた弘法の筆

画なり。左大文字、京の町より北山を望んで左にあるところなり。」

 と書かれています。 従って、左大文字送り火の計画は、江戸時代始にあったらしく伝

承されていますが、 どうやら前出の年代の間、即ち、江戸時代初期の終わりか、江戸時

代中期のごく早い時期に始められた、と考えられます。

 他山は鳥居形·舟形·妙法と送り火が違いますが、当山は東山の「大」の字が、御所

内裏の池に反映して写されたもの、と言う事で同じ大の字になったと言われています。

保 存 会

 左大文字保存会

 会長

 会員数 50余名

山の位置

 京都市北区大北山鏡石町 大文字山(大北山)

 京の北西方、衣笠の名刹金閣寺(鹿苑寺)の北側にある岩山で、標高231メートル

の山です。

 毎年、暮れの都大路を男女の若人が駆け抜けて、 師走の忙しさを一時忘れさせてく

る高校駅伝のテレビ中継所が、この「大」の字の右下先端部に設けられます。

大北山(大文字山)山頂より東向方面を望む.
船岡山、比叡山が中央に位置する
山頂より南向き方面を望む
正面の通りは西大路
火床への石段
 火床は山の斜面に栗石をコンクリートで固めたもの、高さ30cm~3m、松割木を井桁に約1m重ねる。 
 毎年8月16日の朝、法音寺において施餓鬼会(せがきえ)が行われ、その時焚かれた火が左大文字の
親火となって点火される。
 大文字送り火の起源や意味については諸説があるが、江戸時代の初めより記録に表れ、
お盆の精霊の送り火として毎年点火されてきた。
 左大文字は、法音寺を中心とした旧大北村の人々によって受け継がれてきたのである。
 法音寺は左大文字の発祥地、旧大北山村の菩提寺でもある。
左大文字(大文字山)午後8時15分点火

 左大文字は、岩石が多くて火床が掘り難いところか

ら、以前は篝火を燃していたが、現在はコンクリート

の火床を使っている。

 16日午後7時頃在所の菩提寺である法音寺門前通り

で門火(篝火)を焚き、先祖の霊を菩提寺へ導く。送り

火の親火台で護摩木が焚かれ先祖の霊をなぐさめる点

火法要が行われ、その火で丈余の親火松明と手松明が

ともされて、山上へ運ばれ、山上の送り火が点火され

る。なお、16日午前中に金閣寺門前に設けられた志納

所で、護摩木の志納受付が行われる。

 火床53,一画48m,二画68m,三画59m。


 火床山の斜面に栗石をコンクリートで固めたもの

  高さ30cm~ 3 m

  松割木を井桁に約1m重ねる




船岡山 比叡山