妙心寺地図

京都 散策ガイド
三門(重文)
臨済宗妙心寺派本山
開山 慧玄禅師(無想大師)
入母屋桜門造
本瓦葺
楼上には十六羅漢像、観音菩薩などが安置される
洛西最大の禅寺
建立 慶長4年(1599)
天井には龍や飛天が描かれている。
 
 観音菩薩、十六羅漢像、龍図
 正法山と号し、臨済宗妙心寺派の大本山である。
 ここは初め清原左大臣の別荘で、その後花園上皇の離宮となった。
 深く禅(大徳寺の宗峰妙超・しゅうほうみょうちょう)に帰依された花園法皇は妙超が推薦した
関山慧玄禅師(かんざんえげん・無相大師1277〜1360)を開山とし、
離宮萩原殿を改めて延元2年(1337)禅宗とされたのが当寺の起こりである。
 室町初期に一時中断し再興後応仁の兵火により荒廃したが、
乱後雪江宗深(せっこうそうしん)が再建、弟子にも名僧が出て寺運はさかんとなり、
塔頭が相ついで建てられ、地方へも当寺の勢力は発展した。
 現在末寺3500余、臨済宗各派中最大である。
 勅使門より北へ三門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈が一直線に並び、
その東側に浴室他がある。また、46の塔頭がある。
拝観の手引き⇒⇒⇒
 大内義弘(中国大名)は義満の命令に背いたが、妙心寺住持の拙堂宗朴は義弘との
師檀関係を断絶しなかった。
 大内義弘は、義満に鹿苑寺(金閣寺)造営のための労力や費用供出の命令を拒否しており、
こんどは、義弘と妙心寺が提携してまたまた義満に盾突いた。
 宗朴は青蓮院に幽閉され、妙心寺も青蓮院の付属となった。
 30年ほどして、日峰宗舜が管領の細川氏の援助によって寺地をとりもどし、伽藍を復興した。
   山名宗全の息子で細川勝元の養子として入寺した十七世ケ林宗棟は、勅許をえて
大徳寺
の住持の資格をえてから妙心寺に入寺するしきたりを、直接奉勅して妙心寺にはいれることとし、
独立の禅寺となった。
 しかし、独立しても五山の禅寺に入らず、在野の林下の禅寺の立場を貫いた。 
仏殿 法堂 南の勅使門から北へ、三門・仏殿・法堂など(重文)
七つの伽藍が一直線に並ぶ。
放生池 浴室 鐘楼
北総門 南総門 勅使門
大方丈 三門
 
  40あまりある塔頭の一つ退蔵院には国宝 瓢箪図がある。(なまず)を瓢箪のなかに入れられるかどうか、
考えてみよ。禅の公案(仏・禅で道を悟らせるために考えさせる問題)でる。
 ただでさえ捕まえにくい鯰を瓢箪で捕まえるという矛盾に対し、京都五山31人の禅僧が回答を連ねた有名な禅機画である。 
 退蔵院は波多野重道によって応永11年(1404)建立された。 
 塔頭東林院の前庭には、沙羅双樹の木が十数本ある。梅雨どきには白い椿のような5弁の花を咲かせる。
この花は一日で散ってしまう。
 佐久間象山や西田幾太郎の墓がある。


退蔵院

     

◆瓢鮎図(ひょうねんず・国宝)、如拙筆による、日本最古の水墨画。  紙本 如拙筆縦115.5×横75.8cm

室町時代 退蔵院

 大岳周崇による序と賛詩のみ。縦に引かれた罫の中に書かれ玉?梵芳以下30人の僧は、桝目の中に記している。これらの

僧は室町初期の禅林を代表する高僧ばかりで、しかも1枚の水墨画に、これだけの賛詩が添えられるのはきわめて珍しい。足

利義持とされるこの画賛の発案者とそれをとりまく当時の知識人の文化的な交流の深さがしのばれる。

不思議な1枚の禅画

「瓢箪鯰(ひょうたんなまず)」ということばがある。

 つるつるの丸い瓢箪で、偏平な体型のうえにぬるぬるした皮膚をもった鯰を押さえるのは至難のこと

で、とらえどころのないさま、要領を得ないことの例えである。

この「瓢箪鯰」を画題にした不思議な1枚の水墨画が、妙心寺塔頭の退蔵院にのこる。題して「瓢?

図」。ちなみに中国では「鮎」はナマズの意味で、日本でナマズに当てる「鯰」は国字である。絵は水墨

画の祖といわれる如拙(じょせつ)の筆になる。

退蔵院は、1404年(応永11 )、波多野重通が妙心寺第3世無因宗因を開山として創建した。一門の

西にあって、妙心寺塔頭のうち、天授院についで古い創建の歴史がある。

画幅は,上部冒頭の大岳周崇の序についで、玉?梵芳以下、室町初期の禅林の僧30人の賛詩が3段

にわたって記されている。画面の下半分に、瓢?をもって鯰を押さえ捕ろうとする田夫の姿が描かれる。

洒脱・飄逸な画風で、蓬髪にひげをたくわえた男の表情は、ある種、不思議な明るさをたたえ、俗を超

えた達観がほの見える。

「不可能」に「可能」を探る 大岳周崇の序により、「大相公が如拙に画を描か

せ、賛詩も同じく、その命で僧に筆をとらせたものである」ことがわかる。「大相公」は、室町幕府第4

代将軍,足利義持とする説が有力である。また、この画幅はもと小塀で、賛詩は裏面に書かれ、のちに

1面に表装されたことが知られる。

画題からもわかるように、「瓢鮎図」は「瓢箪で、鱗のない鮎魚を捕らえることができるか」という禅特有

の意味深長な公案 。公案は、すぐれた禅者のことばや行動を記して,坐禅しようとする僧に示され、こ

れを課題として考える対象、手がかりとさせたものである. 「瓢鮎図」もその例で、この画題を公案とし

て、諸僧が所感を記したのが上部の賛詩なのである。

贊詩には、大岳周崇が「つるつるの瓢箪にさらに油を塗って捕らえる」と記し、また、変わったとこ

ろでは玉腕梵芳の「瓢箪で鮎魚を取り、吸い物をつくろう。飯がなければ、池の砂をすくって炊こうで

はないか」などと意表をつくものもある「不立文字、教外別伝」ー―言葉であらわせるも

のでなく、また言葉で伝えることができないのが禅の奥義。「不可能」に可能」を探る――という禅機

に、諸僧の賛詩は、いっさいの常識を超越して、ものごとにとらわれず淡々と透明感をもって響くので

ある。画中の男の不思議な明るさも、禅のそうした世界をかいま見せているのかもしれない。