虚空蔵山 弘仁寺地図
本堂 | 山門 | 明星堂 | |
本尊 木造虚空蔵菩薩 高野山真言宗 |
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略縁起 弘仁寺の創建に関しては、嵯峨天皇の夢枕に老人が立ち、「奈良の南に霊山がある。 夜ごとに光を放ちもろもろの仏があらわれて、読経の声がたてない。ここに寺を建てて、衆生を利益されたい。」 と申された。 夢枕目覚めた嵯峨天皇がその地を探されたところ、現在の虚空蔵山にあたる場所が分かり、 お喜びになった嵯峨天皇が弘仁5年(814)建立された。 もとは和邇氏の一族小野氏が建てた寺。 室町時代には250石をもらっていたが、戦火により焼失し、いまの本堂は寛永6年(1629)に再建された。 |
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明星がこの地に落ちたという伝説があり、明星堂には木造明星菩薩立像(重文・平安後期)を祀る。 | |||
算額 江戸時代の日本で、額や絵馬に数学の問題や開法を記して、神社や仏閣に奉納された額のこと。 弘仁時には二つの算額がある。 山口神社⇒ |
参道 | 境内 | 鐘堂 | |
虚空蔵山の西に菰池(こもいけ)があり、そのすぐ西に南北に走る道があるが、 これが古代の山の辺の道であるといわれる。(地図) |
奥の院 本尊 不動明王 | 閼伽井 | 神社 |
和爾町の集落の東にある古刹で、 弘仁5年(814)の創建である。 虚空蔵山の中腹に建ち山寺の雰囲 気を醸している。 本尊の虚空蔵菩薩は木造漆箔の 立像で、像高195cmあり秘仏にな っている。元亀3年(1572)松永 久秀の兵火により伽藍はほとんど 消失し、現在の本堂は江戸時代の 再建であるが、本堂は重層屋根の 大きな外観を呈する立派な建物で ある。庶民信仰の面では、知恵の 虚空蔵さんとして親しみを持って 信仰を集めている。 |
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