耳成山(みみなしやま)地図
香具山から望む |
甘樫丘から望む | 畝傍山より望む。 |
藤原宮跡の北側に位置し、四方どこから眺めても小高い形のよい円錐形の山である。 大和三山の中で一番低い。(標高139m、山麓の標高は60m)) 以前はもっと高かったが、火山活動が終わった後に沈下して、山頂部分が地上に残ったといわれる。 山を人の顔に見立てて「耳無し」と呼ぶようになったという説もある。 登山口は四つある。 青菅山(あおすげやま)といわれて、緑の菅(すげは古代の水のみそぎの用具)の山と信じられていた。 また、万葉集には、耳梨山、古和歌集には耳無山とあり、別に天神山という呼称ももっている。 |
祭神 大山祇命、高御産霊神 山の中腹に式内社耳成山口神社がある。 |
4名が幾何学の問題と解答を一題 づつ提出された算額。 |
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算額(さんがく):日本独特の数学和算(わさん)の問題を絵馬に描き、寺社に奉納した。 また、算額は、問題が解けた喜びを神仏に感謝し、学業成就を祈願する者として古くから 親しまれてきた。和算は江戸時代発展した。
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明治天皇大演習御統監之地 明治41年11月11日(1908) に陸軍の大演習があった。明治天皇はこの地に立ち統監した。 参道の他(点線)、ゆるい登り坂の道が反時計方向に、 頂上に向かって幅広く作られている。(実線) |
耳無の池し恨めし | 耳なしのやまのくちなし | 古池に映る耳成山 |
昔、三人の男がいて、ともどもに一人の女性に求婚した。 その女が嘆息をついて言うには、 「一人の女性の命の、はかなさは露と同じで、 三人の男の気持ちの和らぎ難いことは岩のようだ」と。 そこで遂に池のほとりをさまよい、身を投げて水中に没した。 その時、男たちは深い悲しみに堪えられず、 それぞれ思いを述べて作った歌三首の内の一首。 耳無の 池し恨めし 吾妹子が 来つつ潜(かづ)かば 水は涸れなむ 耳無の池は何と恨めしいことよ。 吾妹子がやってきて身を投げたら、水は乾れてほしいものを。 |
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耳なしの 山のくちなし えてしがな 思いの色の 下染めにせむ 耳成山のくちなしの実を手に入れたいものだな。 恋の「思い」の緋色の下染めるに使い、 「耳無し」「口無し」で、人の噂にならないようにしよう。 |