父…市辺之忍歯王(履中天皇の皇孫・第一皇子)
母…蟻臣ハエ媛
誕生…449年(允恭天皇38年)
御名・異称…億計尊(おけ)・大脚・嶋郎
皇后…春日大郎女皇女
立太子…482年(清寧天皇3年)4.7
即位…488年(仁賢天皇元年)1.5 在位年数…10年
崩御…498年(仁賢天皇11年)8.8 年令…50才
皇居…石上広高宮 年号…━━
○天皇は幼くして才覚に優れた御人であったといわれている。また、所伝では宮は二ヶ所あり、一宮は川村で、二宮は縮見の高野にあって、殿舎の柱はなかなか腐朽しないほどりっぱであったといわれている。
○皇后は、春日大娘皇女で、雄略天皇の皇女である。また、長男の小泊瀬稚鷦鷯尊がのちの武烈天皇であり、第三女の手白香皇女が、のちの継体天皇の皇后となった。
○治世について伝えられるところは少ないが、石上部舎人とねりを置いたことや、日鷹吉士高麗に遣わして才伎を召したことが知られている。
陵墓…埴生坂本陵(野中ボケ山古墳) 前方後円墳
所在地…大阪府藤井寺市青山3丁目
○御陵はボケ山と称される。西南面する前方後円墳で三段に築成される。全長120m、後円部径59m、高さ11.5m、前方部幅105m、高さ13mで、極端に前方部が広い典型的な後期前方後円墳といえる。後円部盛土は高く、横穴式石室を主体部としている。周濠を有する。近年、御陵に近接して埴輪窯が発見された。外堤の埴輪や「延喜式」に記載の内容等と合致する点が多く、考察する考古学的年代観とも併せて、信頼性の高い御陵である。上部段丘縁辺を巧みに利用して立地する。西・南・東に築堤して周濠を確保している。
○1975年(昭和50年)、1979年(昭和54年)に外堤上調査が行われ、埴輪列が検出された。この円筒埴輪は窖窯焼成されたものであることが知られている。西側周濠は狭い。
○南側くびれ部の前方部側に造り出しが付加されていて、五世紀代の巨大前方後円墳に通有的に見られる祭祀の伝統がまだ残っていると理解できる前方後円墳である。後円部側に接して、南北方向に古市大溝が通っている。
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