常照皇寺地図

大雄山常照皇寺
臨済宗天龍寺派に属する。
 室町時代前期の貞治元年(1362)北朝初代光厳法功皇によって開かれた。
その後も五山派の名僧が勅命を受けて入山し、光厳法皇の法系を受け継いできた。
戦国時代の争乱により兵火にあったが、後に皇室の寄進等により堂舎を復興した。
落ち着いたたたずまいの境内は、皇室ゆかりの禅寺としての歴史を伝えたいる。
 九重桜 : 天然記念物 しだれ桜
 左近の桜 : 御所から株分けされた。
 御車返しの桜 : 一重と八重が一枝に咲く、美しさのあまり牛車を返して見た。

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 大雄名山万寿常照皇寺(だいゆうめいさんまんじゅ)以前は常照寺と略称していた。
 臨済宗京都嵯峨天龍寺派に属する。一説には天台宗系の成就寺という廃寺を改めたと伝えられている。
後花園天皇が境内裏山方樹林や小塩田260石等を光厳上皇の香華料として献納。皇族と檀家が力を合わせて護寺に努めてきた。 
 戦国期の天正7年(1579)、丹波の守、明智光秀の山国全焼戦による寺域全壊の後、江戸期の後水尾天皇
「ひねりごうし」のこぼれ話にある志納などで漸次回復した。
 また、幕末・明治期の王政復古もあって、皇室経済は由緒寺院への下賜金を繰り返し、堂宇庭園を拡大したが、
第二次世界大戦のあおりをにより多くの寺田や寺の資産をは亡失。その後現在の姿に復元した。
   
   
   

















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