第108代 後水尾天皇(ごみずのお)地図
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父 … 後陽成天皇(第三皇子) 母 … 藤原前子(近衛前久の娘) 誕生 …1596年(慶長元年)6.4 御名・異称 … 政仁(コトヒト) 中宮 …(徳川)源和子 女院 …(藤原)園光子、(藤原)櫛筍隆子、(藤原)園国子 立太子 … ―――即位 …1629年(慶長16)3.27 在位年数 …18年 崩御 …1680年(延宝8年)8.19(年齢85才) 皇居 … 平安宮 年号 … 慶長、元和、寛永 ○ 徳川幕府は、1615年(元和元年)「禁中並びに公家諸法度」を公示したため、この幕府の専横を怒っていた後水尾天皇は、僧70余人に紫衣を賜ったが、幕府は奪い取った(紫衣事件)。憤慨した天皇は1629年(寛永6年)、興子内親王(明正天皇)に譲位し、1651年(慶安4年)落飾して円浄と号した。 ○ 譲位後上皇として51年の長期にわたって院政を作った。○ 中宮和子は2代将軍徳川秀忠の娘で、幕府の権力のなせる業である。 |
唐門 泉涌寺唐門の奥に霊明殿があり、その奥が月輪陵となる |
陵墓名 … 月輪陵 九重塔 所在地 … 京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺内 ○1680年(延宝8年)8月19日崩御、泉涌寺山内にある月輪陵に奉葬された。 ○ 御陵は西面する九重石塔で、高さ5.21m余りで、基壇は約5m四方の規模で、周囲に石柵をめぐらしている。 ○ 25陵5灰塚9墓の内の一つである。 |
相国寺に祀られている後水尾天皇御歯髪 |
後水尾天皇の行幸 天皇の外出のことを「行幸」と言います。二条城においては、1626年(寛永3年)9月、上洛中の徳川秀忠、 家光の招きに応じ、後水尾天皇が行幸しました。2代将軍秀忠の娘であり、 天皇の中宮となった和子らと 5日間滞在し、能や和歌などの会が賑々しく催されました。行幸を迎えるにあたって、2年前から城を現 在の広さまで拡張し、天守閣や行幸御殿、本丸御殿なども造営されました。また、狩野派の見事な障壁画 も行幸に際して新たに描かれたと言われています。その後、行幸御殿等は移築され、 天守閣、本丸御殿等 は焼失しましたが、二の丸御殿は今も往時の風情を伝えています。 |