第66代 一條天皇(いちじょう)地図

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(えん)(ゆう)天皇(第一皇子)
藤原詮子(せんし)(藤原兼家の娘)
誕生 980年(天元3年)6.1 
御名・異称 懐仁(ヤスヒト)・精進覚・妙覚
皇后 藤原(てい)()  中宮…藤原(しょう)() 
立太子 984年(永観2年)8.27
即位 986年(寛和2年)6.23
在位年数 26年
崩御 1011年(寛弘8年)6.22(年齢32才)
皇居 平安宮 
年号 (かん)()(えい)(えん)(えい)()(しょう)(りゃく)(ちょう)(とく)(ちょう)(ほう)(かん)(こう)

藤原兼家は一条天皇の摂政となり、政権をほしいままにしたが、4年後病気になり長男の道隆に譲った。

兼家の子の道隆、道兼、道長は、当時三道といわれ、特に道長は一条・三条・後一条各天皇の三朝に仕え、晩年は御堂関白といわれた。

道隆も娘の定子を後宮に入れて皇后とし、一家の繁栄を誇った。清少納言はこの定子に仕えた。しかし、道隆が病没し、その後継の座をめぐって激しい争いが起きたが、天皇の生母詮子が強力に後援した道長になった。

道長は娘彰子を入内させ、定子とならんで皇后に立て、一帝二后の新例を開いたので、後宮の中心は次第に中宮彰子に移った。紫式部はこの彰子に仕えた。

全体として道長の権勢が際立ち、一条天皇は朝政に関与出来ぬまま、譲位し出家した。

一条天皇は詩歌・管弦に優れ、笛の名手として知られ、国民の幸福を念とされ、民が寒さに堪え忍んでいることに思いを寄せ、寒夜に衣を脱いだという逸話があると伝えられている。また、四納言など有能な臣下が登場した。

天皇陵墓名 (えん)(ゆう)(じの)(きたの)(みささぎ)   円墳   火葬塚  京都市北区衣笠鏡石町

所在地 京都市右京区竜安寺朱山竜安寺内

火葬され、御骨は円成寺に奉安された。9年後の1020年(寛仁4年)円融寺北方の円融天皇の火葬所のほとりに蔵骨された。9年間円成寺に置いていたのは、方位が凶方に当たっていたからである。

堀河天皇後円教寺陵と同域で、東は一条天皇陵、西は堀河天皇陵である。二陵を一囲内に治定され、いずれも南面する円墳である。周囲に空濠を設け、土堤を築き、生垣がめぐっている。拝所は二陵の中央にある。

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