円成寺 地図
円成寺は、天平勝宝八年(七五六)、聖武·孝謙両天皇の勅願により、 僧虚瀧和尚(こうろう)の開創と伝えられているが、史実的には万寿三 が栄えた。文正元年(一四六六)応仁の兵火で主要伽藍を焼かれたが 程なく栄弘阿闍梨が再興し、次いで文明十三年(一四八一)朝鮮に使し て高麗版一切経を請来した。江戸時代には寺中二十三寺、寺領二百三十 五石を有する寺院であったが、明治維新後、寺領を失い、今の境内と建 物のみを残した。近年、本堂の解体修理と仏像の補修、庭園の整備を行 い、多宝塔を再建して、寺観を整えた。
応仁二年(一四六八)の再建。三間一戸入母屋桧皮葺で、上下層とも和 様三手先を使い、下層出入口の上に、正·背面とも花肘木を入れている。 円成寺庭園(平安時代)名勝 平安末期に寛遍僧正が築いたと伝えられ、浄土式と舟遊式を兼備し た寝殿造系庭園である。昭和五十、五十一年に発掘調査、環境整備を完 了した。
文正元年(一四六六)栄弘阿闍梨が旧本堂と同じ規模と様式で再建した。 を設け、向拝に舞台を付けた寝殿造で須弥壇の上は折上格天井、 ぐらして、藤原時代の阿弥陀堂を現している。須弥壇上にあって本尊を 供物棚の格狭間や柱根の反華座は逸品である。昭和三十六年解体修理
天永三年(一一一二)浄土教信奉者として有名な南山城小田原の迎接 非常に豊麗で悠揚せまらぬ大きさがあり、少し目を下方に向けたところは、 四天王(鎌倉時代)重要文化財 須弥壇上本尊の四隅に立って、本尊阿弥陀如来を守護している。 |
大日如来坐像 (平安時代)国宝 多宝塔の本尊。安元二年(一一七六)運慶二十五歳頃の第一作。桧材 から運慶真筆の墨書銘が確認された。これにより、運慶は、安元元年(一 月十九日に完成し、寺へ奉渡したことが知られる。 聖徳太子の二歳像で、延慶二年(一三〇九)の造立。木造彩色、像高
安貞二年(一二二八)奈良春日大社御造営のさい、当時の大社神主藤 表は入母屋、裏は切妻、桧皮葺で、棟木、千木、堅魚木をのせ、蟇股・ 僧 形 文 殊 (鎌倉時代)県指定文化財 宇賀神本殿 (鎌倉時代)重要文化財 拝殿(江戸時代)市指定文化财 |
阿弥陀如来坐像(重文) |
「柳生の里」にほど近い奈良市郊外の忍辱山円成寺。国
道369号わきから勧請縄を
くぐると、国名勝の幽玄な庭園が広がる。 山号の「忍辱」とは、仏教の六波羅蜜の一つ。いかなる苦難にも耐え忍ぶ、という仏 くはらみっ道修行上の徳目だ。 寺の開創は諸説あるが「平安中期に十一面観音をまつられた命禅上人を開基とす るのが好ましい」と田畑祐弘住職(67)。やがて1153年、京都·仁和寺の寛遍僧正 が東大寺別当などを歴任して円成寺に登り、基礎が築かれた。応仁の乱で伽藍の大半を 失うが、復興に努めた栄弘阿闍梨が朝鮮から高麗版大蔵経を持ち帰り、これを徳川家康 に献上。寺領を235石に加増されて一大霊場となった。 本堂と楼門(いずれも重要文化財)は1468年の再建。本堂の東には国宝「白山 堂」「春日堂」の2社が立つ。鎌倉初期、奈良·春日大社造営の際に旧社殿を拝領し た日本最古の春日造社殿だ。 ぜひ拝観したいのが、多宝塔の本尊、運慶の初期作の国宝。大日如来坐像。宝冠の下 に彫り整えられた毛髪、弧を描く眉と細い眼、繊細な鼻梁と形のよい小鼻·口、胸から 腹·太ももの弾力的な表現など、同寺は「像全体が放つ、はつらつたる精神力は他に比 べるものがない」。 この多宝塔が財政難の大正期に売却され、本尊の坐像も阿弥陀堂の片隅にあったが 質素倹約に努めた先代住職の思いに約1万人が浄財を寄1990年に再建された。 が心地よかった。 (大脇和明) |
1967 (昭和42 )年のこと。神奈川県に住む中学2年 の男の子が、漫画家·石森(石ノ森)章太郎さんの事務 所を訪ねた。小学生のころから漫画少年。自信作を批評し てもらうつもりだった。 反応は悪くなかった。しかし、偶然その場にいた赤塚不 二夫さんに一喝された。「今から漫画家になろうなんてダ メだ。もっといろんなことを勉強しなきゃ」。作品にはほ とんど目を通してくれなかった。そのひと一言で、少年の漫 画熱は急速に冷めた。 それでも美術への志だけは消えず、東京芸術大学で彫刻 史を学ぶ。後に清泉女子大教授となる美術史学者、山本勉 さん( 64 )の、「人生の選択」だった。 大学2年生だった74年秋、山本さんは同級生や上級生約 30人と「古美術研究旅行」に出た。京都·奈良の古寺をめ ぐって目を肥やす。毎夜深酒が続いたが、奈良·円成寺で 国宝の大日如来坐像の前に立った時は酔いがさめた。 高さ98 . 2 cmの木像。左手人さし指を右手で握って静か に座っているだけなのに、若々しくて息遣いさえ聞こえて きそうだ。凡庸な仏像とは明らかに雰囲気が違っていた。 台座天板の裏側には、「運慶承安元元(1175)年十 一月廿四日始之・・・ 大仏師康慶/実弟子運慶」という墨書 がある。すでに奈良の仏師の重鎮だった康慶(生没年不詳 東京国立博物館の研究員だった2003年、1通の手紙 を受け取った。床の間に鎮座する大日如来像の写真が添え られ、「胎内納入品を調べたいが、X線写真を撮るにはど うしたらいいか」とあった。 「サラリーマンにも買えるくらいの値段」で古美術商か ら手に入れたという写真の像円成寺や栃木県足利市の 光得寺に伝わる運慶の大日如来像によく似ていた。山本さ んは実物を鑑定X線撮影も実施して、運慶仏特有の「五 輪塔形木札」などが胎内にあるのを確認し、「運慶作品に 限りなく近い」という論文を発表した。 たちまち注目が集まり、08年には所蔵者が米国の美術品 オークションに出品する騒ぎに。「運慶仏が海外流出?」 と騒がれたが、14億円で宗教団体·真如苑に渡った。 山本さんは今月、小学館から「運慶大全」を刊行した。 B4判392,税別6万円「大著」だ。運慶研究をま とめる本は、研究者として大きな目標。企画を持ちかけら れてから1年ほどで書ききった。「新たな運慶仏」として 紹介したかった仏像について、確証を得られなかったの が心残りではあるけれど。 あの時、赤塚さんに叱られなかったら、運慶の研究はし ていなかったかもしれない」。 さすがは「天才バカボン」の「パパ」だな。 (小滝ちひろ) |
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