第82代 後鳥羽天皇(ごとば)地図

(たか)(くら)天皇(第四皇子)
七条院藤原殖子(坊門信隆の娘)
誕生 …1180年(治承4年)7.14
御名・異称…尊成(タカヒラ)・隠岐院・顕徳院・良然・金剛理 
中宮 九条任子、
女院 源在子・藤原重子
立太子 …1183年(寿永2年)8.20
即位 …1183年(寿永2年)8.20
在位年数 …16年
崩御 …1239年(えん)(おう)元年)2.22(年齢60才)
皇居 平安宮
年号 寿(じゅす)(えい)元暦(げんりゃく)文治(ぶんじ)(けん)(きゅう)
平家一門が安徳天皇を神器とともに奉じて都落ちする時、後白河法王は難を逃れ、後鳥羽天皇をたてた。約2年余り、安徳天皇と後鳥羽天皇が並立し、天皇交替による抗争が起きた。
後白河法王が崩御後、摂政の藤原兼実は源頼朝と協調路線を敷いたが源通親に追放された。通親は土御門天皇を即位させ、後鳥羽上皇の院政を始めさせた。
倒幕の兵を挙げ(承久の変)、北条義時と争ったが敗北し、順徳・土御門ともに配流された。
落飾して法名を良然と名乗り、配流された隠岐で19年間を仮御所で過ごし崩御した。 



陵墓名 大原陵    十三重塔   火葬塚…島根県隠岐郡海士町海士  円墳
所在地 京都市左京区大原勝林院町
崩御とともに、源福寺の後山で火葬され、藤原能茂が遺骨を出雲から摂津水無瀬殿に移し、大原の勝林院に納骨した。
勝林院に水無瀬殿の一部を移し、法華堂を建立、納骨し大原法華堂と称した。
大原法華堂は1736年(享保21然)焼失、堂跡の南に十三重石塔を建てた。
現在の法華堂は安永年間(1770〜1780年)に再建された。
順徳天皇陵も同じ兆域に所在する。