12 葦原の しけしき小屋に
歌 神武天皇 古事記・中巻 筆 北岡寿逸 地図 |
阿斯波良能 志祁志岐袁夜邇 須賀多多美 伊夜佐斯岐弓 和賀布多理泥斯 |
あしはらの しけしきおやに すがたたみ いやさやしきて わがふたりねし |
葦原の しけしき小屋に 菅畳 いやさや敷きて わが二人寝し |
伊須気余理比売のお家は狭井河のほとりにありました。この比売のもと においでになって一夜お寝みになりました。 その河を狭井河というわけは、河のほとりに山百合草がたくさんありまし たから、その名を取って名づけたのです。 山百合草のもとの名は佐韋と言ったのです。後にその比売が宮中に参 上した時に、天皇のお詠みになった歌は、 葦原の韋の繁った小屋に 菅の蓆を清らかに敷いて、 二人で寝たことだったね。 かくして三人の御子がお生まれになった。 神武天皇が皇后伊須気余理比売と、狭井川のほとりの比売の家で新婚の 一夜を過ごしたことを後日、正式に宮中に迎えいれたときに回想して歌に したものである。 大物主の神の御子⇒⇒⇒ 遷都⇒⇒⇒ |
須賀多多美:すがたたみ わらで作るござのようなもの、敷き布団の原型といわれる。 |
狭井神社は大神神社の摂社だが、三輪山麓を流れる狭井川のほとりに鎮座する神でもある。サヰとは山百合のことで、昔このあたりには多く自生していたという。 古事記では、神武天皇がサヰ川のほとりの女、伊須気余理比売と一夜御寝なさったと語る。三輪山の神の娘だが、始祖王は三輪の神の娘である百合の精に感染されることによって、王たる資格を身につけた。 川の辺は山百合が多いので、その名をとってサヰ川と名づけた。 四月十八日大神神社と狭井神社で行われる鎮花祭(はなしずめのまつり)と、率川神社(いさがわ)の六月十七日三枝祭(さいぐさまつり、三輪山の麗に咲いた笹百合の花で飾った酒樽を神前に供える)の起源を思わせる。 |
.