廣瀬神社地図

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 入母屋造りの桧皮(ひわだ)ぶきの拝殿。
奥の本殿は上半分だけ見え、一間社春日造り。
二の鳥居と拝殿。
一の鳥居から北へ300mで二の鳥居に向かう。 
祭神 若宇加能売命(わかうかのめのみこと)
創建 祟神天皇九年
由緒 大和盆地を流れる総ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る
天武天皇が白鳳五年(679)に大忌祭を四月と七年の年二回お祀りを始められて依頼皇室
の崇敬が厚い特殊神事砂かけ祭り二月十一日
 社が鎮座するのは、初瀬川、曽我川など大和盆地を流れる多くの川が合流するところ。
 天武天皇4年(675)、風神を龍田大社に、また、水神である大忌神(おおいみのかみ)を
「広瀬の河曲(かわら)に祭らしむ」と日本書紀に記されている。 
大官大寺について  廣瀬大社  
砂かけ祭り
 天武天皇の頃から始まったとされる「大忌祭(おおいみさい)」は、今も御田植祭「砂かけ祭り」
として伝わる。
 豊作を祈願する「お田植え祭り」で、雨に見立てた砂を掛け合う大和の奇祭。
午前は、拝殿で、苗代作りから田植えまでの所作を、田人、牛役、早乙女を演じる。午後は砂庭
に青竹4本を立て、しめ縄を張った田園で午前と同じ所作。太鼓の合図で、田人らと参拝者が一緒に
なり砂をかけ合う。砂を激しくかけ合うほど豊作になる。

 原文 訓読 意味 
廣瀬河  袖衝許 浅乎也
心深目手 吾念有良武
                      
 廣瀬川  袖つくばかり  浅きをや
 心深めて わが思へるらむ
 
 あの人の心は廣瀬川のよう
に底が浅いのにどうして私の心
の底深くあの人のことを思って
いるのだろう
 軽薄な思い人を、心憎からず深
く慕っている恋の歌です。
万葉集 巻七 一三八一 作者不明
 
 官幣大社廣瀬神社の石碑と一の鳥居。
   
 河合町川合の場所にある名の通り、寺川、飛鳥川、曾我川等奈良盆地を流れる
大和川の主要な河川が合流する場所である。この合流点を広瀬の河曲(かわわ)と
呼ばれていた。そこには広瀬神社があり、西方には竜田大社が鎮座する。 
当社は水の神として知られる。
 大和川と富雄川との合流点、御幸大橋の近くは、かって大きな船着場があり、
交通の要所としてにぎわった。明治時代に鉄道が開通して水運は衰えた。
 この一帯は沼地であった。そんな地にあって、広瀬神社は、水田を守り、河川の氾濫を防ぐ水神を祀る
神社として古くから信仰されてきた。
 河曲:広い瀬のこと 
 この森の中に、南北約300mの参道がある。
  大和の大部分の神社の祭祀は、各社の神官によって主催されたが、
広瀬の大忌祭(おおいみさい)、竜田の風神祭(かざかみさい)、大神(おおみわ)の
鎮花祭(はなしずめまつり)、大神・率川(いさかわ)の三枝祭(さいぐさのまつり)だけは、
朝廷の神祇官の手でおこなわれた。