第23代 顕宗天皇 (けんぞう)地図

市辺之忍歯王(第二皇子)(履中天皇の皇孫磐坂市辺押磐皇子) 
蟻臣?媛(ありのおみのはえひめ)
誕生…450年(允恭天皇39年)
御名・異称弘計(おけ)尊・来目(くめ)雅子(わかご)尊・袁祁(おけの)立石(いわ)()(わけ)
皇后難波小野女王
立太子━━即位…485年(顕宗天皇元年)1.1  
在位年数
…2
崩御…487年(顕宗天皇3年)4.25  年令…38
皇居(ちかつ)()(すかの)()(つり)宮  年号━━
○父の市辺之押(いちのへのおし)()皇子は痛ましい最期を遂げたが、その時天皇は幼く自ら逃げて隠れ、その後広く御骨を探したが知るものがなかった。しかし、近江国老婆置目が知っていた。天皇は、父を殺した雄略天皇を非常に憎んでいた。
○天下泰平で豊年が続き、稲一斛(ひとかさ)で銀銭一文であったという。(貨幣により物が見える最初に記事である)徭役もなく、百姓も富み、馬も野にあふれた記事がある。
天皇と宮の名⇒⇒⇒
遠近飛鳥の比較⇒⇒⇒
陵墓(かた)(おかの)(いわ)(つきの)(おかの)(みなみの)(みささぎ)  前方後円墳
所在地奈良県北葛城郡香芝町大字北今市
○御陵は、「陵墓要覧」では前方後円墳となっているが、全体は山形である。この頂上部に小形の前方後円墳が存在していると考えられている。○元来夷子(えびす)社という小祠が墳上にあったが、1889年(明治22年)の修陵に際し、村の西側に移された。
○御陵の東南の水田中に三基の小円墳があり、これを陪墳とする。
○「山陵考」によると巨石の横穴式石室に練石(家形石棺)の石材があって、刀剣、金器類の副葬品のあったことを伝えている。