紫雲山 中山寺地図

山門
 安産・子育・女人済度の霊験で名高く。インドの勝鬘夫人を模した
十一面観世音が本尊。毎年8月9日は33観音が星になって参集する
といい、星下り大会式が行われる。

本堂 大願堂 阿弥陀堂
西国三十三所霊場の二十四番札所。
聖徳太子の創建による最初の観音霊場。
本尊は十一面観世音菩薩でインドの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿をうつした
像と伝えられている。
謡曲「満仲」や歌舞伎「菅原伝授手習鑑」は、平安中期に多田源氏満仲の信護を
うけた時代の当山にまつわる美女丸・幸寿丸の哀話から創作されたもの。
中山寺は代々皇室の崇信もあつく、安産祈願の霊場として、源頼朝をはじめ武家・庶民
より深く信仰され、豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼をさずかり、秀吉亡き後秀頼は
片桐且元に命じ伽藍を再建した。これが現在の伽藍である。
謡曲⇒⇒⇒
鐘楼堂 本堂正面 参道
奥の院 地図
応神天皇の勅願所と伝えられる。豊臣秀頼が慶長8年(1603)現在の中山寺を再建するまでは、
奥之院周辺に中山寺の山上伽藍があった。
応神天皇の時代に諸国に疫病が流行し、天皇は紫の雲たなびく吾孫子の峰に天神地祇を祀ると共に、
悲運の皇兄、忍熊皇子(おしくまのおうじ)の鎮魂供養をした。日本最初の厄神明王のはじまり。
奥之院の付近には旧跡の石垣が多く見られ、かっての旧伽藍の規模の大きさがうかがええる。
忍熊皇子は武内宿禰の軍勢と戦い琵琶湖畔で戦死した。皇子の亡骸は、母親・大仲姫の眠る大柴谷
の石棺に葬られた。