谷汲山 華厳寺地図
宗派 天台宗 本尊 十一面観音 |
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桓武天皇の延暦17年(789)奥州の黒川郷富岡(現福島県会津高田町)の役人大口大領が京都で 十一面観音像(作文珠大士)を作らせ郷里の奥州へ観音像を持ち帰る途中谷汲のふもとで像が急に 動かなくなり大領はこの地こそ結縁の地と考え既にここで修業中の豊然上人とともに寺を建てて観音像 を安置した。この時近くの谷間から仏前に供える灯明の油が湧きでたという。 それから約百年後に醍醐天皇がこの話を伝え聞き谷汲山の山号を贈るとともに華厳寺の扁額を下賜 されました。 当寺は西国三十三ヶ所霊場の最後の札所であり満願寺とも云われる。 大口大領の末孫は富岡屋と号し、現在に至っている。 |
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33ヶ所を巡り歩いた末、谷汲に詣で本堂の向排の柱に打ち付けてある鯉を撫でると精進落としになると云われる。 笈摺堂(おいずる) |
仁王門 | ||
宝暦年間再建(1751〜63)の仁王門を入ると108基の石灯があり、正面に明治8年再建の本堂、笈摺堂(おうずるどう) 等が並ぶ。ここでは過去、現在、未来を意味する詠歌にちなみ、三ヵ所分の納経をうける。 本堂向拝の青銅の精進落としの鯉にふれ俗界にかえる。 ご詠歌 (未来) 今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎて納る美濃の谷笈 (現在) 世を照らす 仏の験(しる)し ありければ まだ灯火(ともしび)も 消えぬなりけり (過去) 万世(よろずよ)の 願いをここに 納めおく 水はこけより 出ずる谷汲 |
仁王門にある巨大な草履 | 扁額 |
経堂 | 鐘楼 |