天寧寺地図
西園寺地図
辨天堂地図



天寧寺

     
 山号は萬松山と号し、曹洞宗に属する。

 当寺は、もと会津(福島県)城下にあったが、天正年間(一五七三~一五九二)に、天台宗松陰

坊の遺跡といわれるこの地に移転されたと伝えられている。 そめ後、天明の大火により堂宇を
焼失
したが、本堂は文化九年(一八一二)に、書院は天保十四年(一八四二)に再建された。

 本堂には、仏師春日作と伝える本尊釈迦如来を、親音堂には後水尾天皇の念持仏聖親音
及び
東福門院の念持仏薬師如来像を安置Lている。

 境内墓地には、江戶時代の茶人として有名な金森宗和、剣道示現流の開祖といわれる
善吉和尚ら
の墓がある。また、山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額縁に入れたように
見えるところ
から、山門は「額縁門」と呼ばれて親しまれている。

 京都市



西園寺

   
   
 
 槌止め地蔵を安置

 
 浄土宗開祖法然上人
若き日の修行像

 宝樹山竹林院と号する净土宗の寺である。

 鎌倉幕府の太政大臣となった藤原公経が、元仁元年(一二二四) に衣笠山の麓 に范池を造り、

池畔に本堂,震殿など壮麗な宇堂を建てて、西園寺ど称したのが当寺の始まりてある。

 以来、この寺名が子孫の家名どなり、当寺も西圆寺家の北山山荘して子孫に受け継がれた。

 しかし、足利義满が北山殿(金閣寺)を造営するに当たってその地を所望したため、上京区の室町
に移り、更に天正十八年 (一五九〇)に.
この地に移転した。

 現在の本堂は、天明の大火(一七八八)後に再建されたもので、正面 には、明治、大正、昭和:

の三時代にわたって政界て活躍した西圓寺公望の筆による寺号の額を掲げている。

 また、堂内には恵心僧都の作と伝えられる本尊、阿弥陀如来像(重要文化財)を祀り、地藏堂には、
北山の衣笠山麓にあった西園寺の功徳
蔵院の遺仏と伝えられる槌止め地蔵を安置している。





 
辨天堂 

 このお堂は弁財天(弁才天弁天)がお祀りしてあります。弁財天は妙音天とも美音天ともいいま

すが、もとは学問や弁舌音楽などを司るインドの神で楽器の琵琶は弁財天の象徴です。

 中国では天女の形姿をとり日本では財宝の神として七福神の一つにかぞえられています。

 西園寺家は代々天皇や上皇に琵琶の秘曲を伝授した宗家の家柄です。

 当山開山藤原公経公が北山第(現在の金閣寺の地)西園寺を造営されるにあたっては妙音堂

を建てて弁財天を祀り以後琵琶の相伝も妙音堂でおこなわれるようになりました。

時移りところがかわっても妙音堂は公郷方を中心に護持され近世には御所内西園寺邸に祀ら

れていましたが明治以後民間において信仰奉賛されるようになりました。

 当山の弁財天堂はこのような開山西園寺公経公以来の伝統によってこの妙音弁財天をお祀り

しているのです。

 當山