崇徳天皇御廟 地図

   
 
  崇徳天皇⇒⇒⇒

 平安時代末期。崇徳天皇は皇位継承争いに絡んだ保元の乱で敗れ、讃

岐(香川県)に流された。京都帰還の願いはかなわず失意のうちに崩じ

た。その後、京都で異変が続いたことから「崇徳天皇の怨霊の仕業」と

恐れられた。

 時は流れて幕末。孝明天皇は崇徳天皇の霊を京都に戻そうと試み、息

子の明治天皇が白峯神宮(京都市上京区)を創建し祀った。

 怨霊に詳しい古代民俗研究所代表の大森亮尚さんは「孝明天皇は幕末

の混乱を乗り切るため怨霊を味方につけようとした。700年たっても

崇徳天皇の力は恐れられていた」と話す。  

メモ 崇徳天皇は菅原道真、平将門とともに日本三大怨霊とされ

る。小倉百人一首の「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末

に逢はむとぞ思ふ」を詠んだことでも知られる。 

   


















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