氷室神社地図

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神殿 拝殿
 江戸時代に朝廷や幕府の行事に参勤した三方楽所(さんぽうがくしょ)のひとつ南都方の楽人が拠点とした神社で、
神主も楽人が勤めていた。ここでは楽人による舞楽奉納を中心とする祭りが行われてきた。
 この拝殿は舞楽を上演するための舞台で表門両側の東西廊を楽所にして左方と右方の舞人が出て拝殿で舞を行った。
 建築年代は明らかでないが少なくとも18世紀には現状のような建物が建てられていたと考えられる。
 祭神
  闘鶏稲置大山主命(ツゲノイナギオオヤマヌシノミコト)
  大鶏鷯命(オオサキノミコト)
  額田大仲彦命(ヌカタオオナカヒコノミコト)

 主祭神の闘鶏稲置大山主命は奈良の東山一帯の山の神である。
 氷室神社は社伝によると、平城遷都に際して氷室や氷池を春日野の吉城川上流につくり、
710年(和銅3年)7月22日に氷室明神を御蓋山麓の下津岩根宮に祀ったのが創始とされる。
正倉院宝物の「東大寺山界四至図」には、吉城川の上流に「氷池」が記され、
菩堤川には「氷室谷」という地名も見える。御蓋山西麓では氷室の祭祀が行われ、
毎年4月1日より9月31日まで平城京に氷を献上した。
 創建は平城遷都と同じ上記の通り。遷都と同時に氷室や氷室神社が奈良に置かれたのは、古代朝廷にとって夏の氷や
祭事が重要であった。
 奈良・氷室神社の祭神は、かって都祁氷室(つげのひむろ)と呼ばれた地から移された。都祁氷室⇒⇒⇒
 奈良時代、春日山周辺にも氷室があったが、製氷効率は都祁には及ばない。実用の氷は都祁で大量に、奈良では祭事や儀式用
に作った。
 氷室神社の垂れ桜は奈良で一番早く咲くと言われている。
 樹齢約100年と言われる。
 
 奈良一番桜のエドヒガン系里桜(春日野の在来種)である。
この桜は山の神から春を告げるしるべである。
 稲作農耕を主体とする暮らしにおいては、
種まきを知らせる花樹を「サクラ」つまり
「サの神=稲魂」の依代として大事なものであった。
奈良市万葉歌碑 3番
 うらうらに 照れる春日に 
   ひばりあがり
 情(ココロ)悲しも 
   ひとりしおもへば

 大伴家持 巻19 4292
 藤岡都逕 書

うららかな春の日にヒバリが鳴く。
かなしいことだ。
ひとりで考えていると。

解説⇒⇒⇒
   







































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