神話の里 「神籬」遺跡について
この一画の小字名である「ヒモロギ」は、 神祭りの施設で神霊 の降臨する依代(よりしろ)であった 「神籬」に由来すると考えら れる。
「日本書紀」の崇神天皇六年条に、豊鍬入姫命をして天照大神 を「倭の笠縫邑に祭る。 よりて磯堅城(しかたき)の神籬を立つ。」 とあり、神籬 が神祭りの古い形式であったことが分かる。
この場所に神籬を設け神霊をお迎えして、神祭りが執り行なわ れたのであろう。
一帯は邪馬臺国の有力候補地である纒向遺跡に含まれ、倭笠 縫邑と伝承される檜原神社にも近く、古代祭祀を考える上で注目 れる。
桜井市文化財議会委員 白井伊佐牟
平成十五年三月吉日 纒向小学校 昭和十六年卒業生同窓会 建之
も、屋外にも作る。ヒは、霊。モロは、モリと同じ意。 神の降りる山の意。 キは不明 (木や城(キ)の意ならばキ乙類の音。ヒモ ロキのキはキ甲類の音)。後には神社のい意にもいう。