桧原神社地図
三ツ鳥居が立ち、鳥居には大きなしめ縄がかけられ ている。(勧請縄) 桧原も万葉集にうたわれた故地である。 往く川の 過ぎにし人の手折らば うらぶら立てり三輪の桧原は。 桧原神社の前方に大きな池(井寺池⇒⇒⇒)があり、 景勝の地である。 |
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祭神は 天照大神・伊邪那岐神・伊邪那美神。 大神神社の摂社。。 |
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眺望にすぐれた台地に立つ神社で、遠く生駒山、信貴山、二上山、葛城山、金剛山の諸山から、 左にには大和三山をとおして飛鳥地方、 右には大和国原をへだてて平城京のあったあたりまで見わたせる。 三輪山は朝日の昇る山、朝日の象徴である。これに対して三輪山から一直線の西に立つ二上山、 陵墓を築造する石の産地であり、夕日の沈む山、夕日に象徴である。その中に大和三山が三角形に並んでいる。 山の辺の道の一番の見どころとされている。(西方にある井寺池まで是非足をのばしてほしいものである。) |
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古代において歴代の皇居に祀っていた天照大神の神霊を、祟神天皇の御代にこれでは畏れ多いということになり、 皇居の外で祀られることになった。 この地で、天皇にかわって天照大神を祀ったのが、斎王(神に仕える皇女)と呼ばれる女性で、初代斎王は崇神天皇の皇女・豊鍬入姫 とされている。 次の垂仁天皇の御代に、豊鍬入姫から倭姫命(やまとひめのみこと)に継がれ倭笠縫邑に遷し祀った所といわれる。 天照大神がさらに鎮まるのにふさわしい宮地を求めて、各地を巡った。 奈良の宇陀(うだ)、次いで伊賀、近江、美濃などあちこちを経て、最後に伊勢国至ったとき、「この神風の伊勢国は、 常世の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。この国に居(お)らむと欲(おも)う。 との天照大神の教えによって、五十鈴川のほとりに内宮が創建された。 伊勢神宮の前身にあたるところ、別名、元伊勢と呼ばれる。 古く、神器の一つ神鏡(しんきょう)は、檜原からさらに他にうつされ、最後に今の伊勢神宮にまつられた。 常世:寄せくる波のように、永久不変が約束された世界。 傍国:一方が陸で一方が海に面した土地。 可怜し国:美し国、好ましい国。 |
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檜原神社は三ツ鳥居があるだけで、本殿は持っていない。三輪山が神体であるからである。 | ||||||||||||||||||||||||||||
この辺りは弓月岳(512m)、穴師山(409m)、巻向山(567m)などといった万葉で親しい名の山々が見える。 巻向山は万葉集では、巻向山、弓月が嶽(ゆつきがたけ)、穴師山(あなしやま)、痛足山(あなしやま)と詠まれる。 しかし、万葉集で詠まれた巻向山については、種々の説がある。 |
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弓月岳は巻向山の頂上のこととも言われる。ゆづきは弓槻・斎槻とも書く。槻は神木であり、弓の材料でもある。 | ||||||||||||||||||||||||||||
笠縫邑 「元伊勢」とも呼ばれる。大神神社北方約一キロ山の辺の道沿いにある大神神社の摂社、 |
桧原神社から真西方面に、近鉄橿原線笠縫駅がある。 地図 |
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現在の鳥居になるまで、 勧請縄(かんじょう)→脇勧請→鳥居(神明鳥居、明神鳥居) 勧請縄→大神神社 本山寺 脇勧請→松尾大社 |
第十代崇神天皇の御代、皇居内に祀られていた天照大御神が
始めて宮域外の倭笠縫邑というところに祀られますが、檜原神社 そして,最初は豊鍬入姫命、次に倭姫命が祭主として大 御神と共に各地を巡幸され、最後に伊勢の神宮が鎮座地となり ます。 檜原神社を最初に、暫し大御神が留まられた所が、「元伊勢」 と呼ばれる聖蹟で、奈良や三重を中心に点在しています。 神宮では平成二十五年に第六十二回式年遷宮が行われます。 この佳節に神宮の始まりである元伊勢・檜原神社にも是非ご参 拝下さい。 |