円照寺地図
普門山円照寺(ふもんざんえんしょうじ)は法華寺や中宮寺と並ぶ大和三門跡寺院の一つで、 華道山村御流の家元であることから、山村御殿といわれる。宗派は臨済宗妙心寺派。 後水尾天皇第1皇女大通文智(だいつうぶんち)が、母が徳川氏との関係がないため、 うとまれて仏道にはいられたところである。 文智が寛永18年(1641)に京都に建て、明暦2年(1656)に奈良に移された。 |
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本堂は茅葺で、その前に手入れのいきとどいた庭がひらけている。 通常は境内全体が非公開である。 |
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円照寺は三島由紀夫の小説「豊饒の海」に登場する「月修寺」のモデルとされる。 |
佐保から春日を山麓沿いに南に向かうと、奈良市山町に円照寺があります。 円照寺背後の丘陵南斜面の中腹に、後水尾天皇の皇女で、 方形堂を中心に歴代門跡らの宝篋印塔6基(ほうきょういんとう)、宝塔1基、 石垣と生け垣に囲われており、その北東角に円照寺墓山第3号墳があります。 今回、紹介するのは陵墓に古墳が重複した例です。 同じように陵墓と小さな古墳群が重なる例は、ほかにもあります。 墓山第3号墳の埋葬施設は、古墳時代後期(6世紀ごろ)の横穴式石室です。 墓山第3号墳がある丘陵の尾根の上方は陵墓の敷地外なりますが、 たのか、奈良時代の蓋付きの須恵器壺の蔵骨器が出土しています。 円照寺から北の谷の西端には、崇道天皇の八嶋陵(奈良市八島町)があります。 早良親王の怨霊のたたりという占いが出ると鎮謝が行われ、 今の八嶋陵は土塀に囲われており、なかの様子をうかがうことはできませんが、 1886 (明治19 )年に社を移して跡地に円丘が築かれました。 陵の南面には、横穴式石室をもつ八嶋陵前石室古墳があります。 都のなかに葬地を営むことは律令で固く禁じられています。 東山麓の丘陵一帯も、もとは小さな単位の古墳群が造られましたが、 (関西大非常勤講師今尾文昭) 2017-5-21 朝日新聞 |
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太師堂 |
あしひきの山行きしかば山人の われに得しめし山つとぞ此れ 元正太上天皇 巻20 4293 松塚玲糸 書 |
あしひきの山に行きけむ山人の 心も知らず山人や誰れ 舎人親王 巻20 4294 今里英三 書 |