第119代 光格天皇(こうかく)地図

…(東山天皇の曽孫・追尊天皇慶光天皇)閑院宮典仁親王(第六皇子)
生母 岩室磐代(岩室法橋の娘)
御母 中御門天皇の皇女成子内親王
誕生 …1771年(明和8年)8.15
御名・異称 兼任(トモヒト)・師仁(モロヒト)・祐宮
中宮 欣子内親王(後桃園天皇の皇女)
女院 勧彩寺婧子
立太子 …1779年(安永8年)11.
即位 …1780年(安永9年)12.
在位年数 …38年
崩御 …1840年(天保11年)11.19(年齢70才)
皇居 平安宮   年号 安永、天明、寛政、享和、文化
性格温厚で、信望も厚く、石清水神社や多賀神社の臨時祭の復活につとめた。学問にも熱心に望み、多才で知られた。1789年(寛政元年)、父の典仁親王に太上天皇の尊号を贈りたいと幕府に伝えたが、皇統を継がない者に尊号を与えた前例がない等、決着が着かなかった。しかし、1884年(明治17年)明治天皇が典仁親王に太上天皇号を贈り、慶光天皇を追尊された。
1788年(天明8年)1月29日大火のため皇居・仙洞とも炎上、聖護院に遷御された。幕府は松平定信を奉行に任じ、1790年(寛政2年)8月26日内裏竣工させ、天皇は新皇居に遷御された。

  



唐門
泉涌寺唐門の奥に霊明殿があり、その奥が月輪陵となる
陵墓名 後月輪陵    九重塔
所在地 京都市東山区泉涌寺内
崩御され、御槽に奉納されたが、倹約のためふたをしなかったので、御棺のことを御槽と称された。
○「天保諒闇記」によると、宝壙の上に御須屋が架けられ、檜造り檜皮葺きで、方三間の四本柱、戸が付いたものである。白綾の幕を四方に引き回し、白地金襴の水引をめぐらしたものである。奉葬のあとは、陵上に金紙革を立て、陵標石塔完成に際して総てを撤去する石槨の仮屋である。
西面する九重石塔で、高さ5.5m、基壇方6.6mの規模である。
 光格天皇は天皇の子ではない。父は閑院宮典仁親王で宮家から天皇の養子に入って皇統を継いだ。
だから生母は庶民で、9歳まで倉吉(鳥取県)の鉄問屋で育った商家の娘である。その父、つまり天皇の祖父は岩室宗賢という医者で、元は鳥取藩家老・荒尾家に仕えた微禄の武士だ。先祖は忍者で知られる甲賀の地侍であったという。この祖父が鉄問屋の娘りんと恋仲になり子ができた。しかし、岩室家は商家との縁組を許さず、りんの実家も微禄の岩室家との縁談に反対だったのか、とにかく結婚はできなかった。
 そこで天皇の祖父は「京都に出て医者になろう」と一念発起し、妊娠中のりんをおいて単身上京した。生まれた子は可愛いい女子で、9年間、倉吉で育ち、父のいる京都にやってきて、公家や宮家で奉公するうち、閑院宮様の子を宿して、その子が天皇になったため、商家の娘が天皇の生母なるストーリーができた。現在の天皇家は、直接には、この光格天皇のお血筋である。 
 2013-9-28 朝日新聞より