14 や万万弔の 立ちしげ美当る
歌 高市皇子尊 巻2−158 筆 安田靫彦 地図 |
山振之 立儀足 山清水 酌ニ雖行 道之白鳴 |
やまぶきの たちしげみたる やましみず くみにゆかめど みちのしらなく |
や万万弔の 立ちしげ美当る やましみつ 久美にゆか免と 道の志らなく |
山吹が花のよそおいをこらしている山の清水を汲みに行こうと
思うが、道のわからないこと。
山吹の黄と、清水の泉とを合わせて黄泉(よみ)の国の意を裏に含ませている。
また、黄泉の国まで訪ねていくことを上からの縁で「汲ミニ行ク」と言っている。
高市皇子が、十市皇女の急逝に三首の歌を作った内の一つ。
あとの二首は、
神山の 山邊真蘇木綿 みじか木綿 かくのみ故に 長しと思ひき 歌碑21⇒
三諸の 神の神杉 夢にだに 見むとすれども 寝ねる夜ぞ多き
三輪山の神杉を見るように、せめて夢にだけでも
十市皇女を見ようとするけれど、悲しみのために眠
れず、夢さえもみることのできない夜が多いことだ
十市皇女は、父が天武天皇、母は額田王。大友皇子(天智天皇の皇子)
の妃となる。
壬申の乱で父と夫が戦い、板ばさみとなる。
戦いが終わり、5年9ヶ月後の天武7年4月(678年)発病し、急逝した。
高市皇子は、天武天皇の長子で十市の皇子とは異母兄妹になる。
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