黄泉比良坂(よもつひらさか)地図

死後の世界と現世を隔てる黄泉比良坂  黄泉の国の醜女達に追われここに逃れてきた 伊耶那岐の命は桃の実を投げつけ退散させた。  最後に伊耶那美の命自ら追いきたり大岩をもちて塞ぎ生の国と死の国の境となせり千引の大岩なり。
 黄泉比良坂を追いかけてきた伊耶那美と伊耶那岐がこの巨岩をはさんで対峙した。
 これより西200mに道祖神あり追谷坂と呼ぶ急坂下れば揖屋付谷に通ず。
黄泉の国⇒⇒⇒
大和と出雲⇒⇒⇒
 伊耶那美が黄泉の国に隠れた後をつけて通った谷を、今もつけ谷(付谷)といい、山坂道を追っかけあがった坂を追谷坂(大谷坂)とよばれている。その峠には塞の神(動祖神)が祀ってあり、そこを越したところがヨミジ谷であって、ここに神蹟伝説の碑が建っている。この碑から西にいけば付谷を渡り山越えして五反田、そこから勝負を越して須田方面に向かう。東方に行けば中意東越坂から、馬場にでて雉子谷を越えて高丸から安来市の岩舟方面に通じる。南方には山の峯道より上意東から荻山(京羅木山)や星上山に通じたのが大昔の道であるとされる。
   比良坂神蹟保存会
 
 伊耶那岐は千人かかってやっと動くほどの巨大な岩を引きずって来て、その坂道を塞いでしまう。
両者はその岩を間にはさんで向かい合い、最終的な決別の言葉を交わし合う。
伊耶那美が「愛しい夫よ、あなたがこんなことをするならば、あなたの地上の国の人間たちを一日に
千人絞りころそう――と言う。
これに対して伊耶那岐は、愛しい妻よ、あなたがそんなことをするならば、私は地上の国の人間たちを
一日千五百人に生まれるようにしよう。
 この言い争いによって、この世では一日に必ず千人が死に、その一方で一日に必ず千五百人が
生まれるようになった。死が万人に不可避の運命として定まり、生きて生殖をして子孫を残して
死ぬ運命を定められた。
伊耶那岐と伊耶那美が絶縁することで、生と死、地上世界と地下世界ははっきりと区別された。 
  ここに伊耶那岐(いざなぎ)の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命
「吾に(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遣して追はしめき。
ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ()てたまひしかば、
すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを(ひり)ひ食む間に逃げ()でますを、
なほ追ひしかば、またその右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ()てたまへば、
すなはち笋生(たかむなな)りき。こを抜き()む間に、逃げ行でましき。
また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)黄泉軍(よもついくさ)(たぐ)へて追はしめき。
ここに御佩(みはかし)十拳(とつか)の劔を抜きて、後手(しりへで)()きつつ逃げ来ませるを、
なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の()三つをとりて
持ち撃ちたまひかば、悉に()き返りき。ここに伊耶那岐の命、桃の子に告りたまはく、「(いまし)
吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる(うつ)しき青人草の、()き瀬に落ちて、
患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。
最後
(いやはて)
にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。
ここに千引の(いは)をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置きて、おのもおのも対き立たして、
事戸(ことど)を渡す時に、伊耶那美の命のりたまはく、「(うつく)しき()汝兄(なせ)の命、
かくしたまはば、(いまし)の国の人草、一日(ひとひ)千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。
ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹(なにも)の命、汝然(みまし)したまはば、
()
は一日に千五百(ちいほ)産屋(うぶや)を立てむ」とのりたまひき。
ここを以ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。
 かれその伊耶那美の命に(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ()きしをもちて、
道敷(ちしき)の大神ともいへり。またその黄泉の坂に(さは)れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、
()へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂は、
今、出雲の国の伊賦夜(いふや)坂といふ。

黒御縵(くろみかづら):植物を輪にして魔除けとして髪の上にのせる
蒲子生(えびかづらな):山葡萄
笋生(たかむなな):筍
青人草(あおひとくさ):人間のこと。伊耶那岐は自分を助けたように、人々が苦しむときは同じように助けよと桃に命じる
黄泉比良坂(よもつひらさか):黄泉の国の入口にある坂
患惚(たしな)まむ:苦しい目にあううこと
千引の(いは):千人力でひくことのできる石
千五百人(ちいほたり)なも生まるる。:人口増殖の起源説話
道敷(ちしき)の大神:道路を追いかける神
  伊耶那岐が黄泉国との往来に使った黄泉比良坂は、出雲国にあった実在の坂である。
その坂は、夕暮れ時に死者がその坂を通ってこの世と往来する地といわれた。
 黄泉の国と現世の境界の地として古事記に伊耶那岐の命が先立たれた
伊耶那美の命を慕って黄泉の国を訪ねていった入口が、この黄泉比良坂であるとされている。
別名伊賦夜坂の起源でもある神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地と刻んだ石碑が設立された。
 
 
 根の堅州国は地の底にあるとされる異郷である。黄泉の国と出入り口は同じくするが、
黄泉の国とは異質の世界といわれる。
 黄泉比良坂という地上と黄泉の国との境にある坂を下っていた大穴牟遅(おおなむち)は、
根の堅州国の宮殿らしい建物を発見する。
さっそく訪ねると、素戔嗚尊の娘須勢比売命が玄関に現われる。 
 黄泉比良坂石碑
 
 黄泉比良坂  

火の神を生んだときの火傷によ
り亡くなった伊耶那美命を黄泉国(よもつ)

まで迎えに行った伊耶那岐命は、

変わり果てた妻の姿を見てしまい、

恐れながら地上に逃げ去ろうとす

る。黄泉国の薄暗い闇の中で腕を

振り上げ、髪を乱して伊耶那岐命

を追う女たちは、伊耶那美命から

追手として遣わされた予母都志許

(黄泉醜女)たちである。

ほのぐらい黄泉国と明るい葦原

中国(なかつくに)とをつなぐといわれる
黄泉比
良(ひら)坂。画面の上右方の明

るい部分に描かれているのが、
うやく地上に出た伊耶那岐命の後

ろ姿である。

青木繁(1882-1911)

「青人草(あおひとくさ)」

 日本最古の歴史書『古事記』(七一二年)は、人間のことを

「青人草」と記しています。

伊邪那岐命が黄泉の国から逃げる時に、追っ手を振り切る

ために桃の実を投げます。追っ手は桃の邪気を祓う力により

伊邪那岐命を追うのを諦めます。

伊邪那岐命は「自分を助けたように、人々が苦しむときは同じ

ように助けよ」と桃に命じます。

この時に我々人間のことを「青人草」と言っています。

江戸時代の国学者、本居宣長は『古事記』の注釈で、「青人

草」とは人が増えていく様子を草が生い茂っていく様にたとえ

た言葉であると説いています。

この言葉には、もともと山川草木も人間も神様が生んだもの

で、ひとしく神の子であり、兄弟姉妹であるという考えがよく

反映されています。そして、青人草とは自らの子である人間が

増え、国が栄えることへの期待も込められた言葉なのです。

人間を繁茂(はんも)する草に例えたところに自然と人間の
共生を大切
にした自然観、また生々発展していくというプラス
思考の人間
観を垣間見ることができます。
























,