八咫烏神社

八咫烏神社(大明神)写真⇒ 
 八咫烏神社の創始は、文武天皇の時代、慶雲2年(705)と云われる。その年、八咫烏を祭るという記述が続日本書紀みられる。
日本磐余彦一行の東征のさい、熊野の山中から大和への道案内をしたという八咫烏は、社伝によると高御産巣日尊(=神産巣日神
の孫鴨建角身命(かもたけつぬのみこと)の化身という。
 鴨建角身命は、山城の鴨県主の祖とされる。したがって、大嘗祭で天子(天皇)を先導する役にたずさわっていた鴨(加茂)氏の職掌が
説話化されたものと云われる。
 古来、軍神(武神)として尊崇され、南北朝時代(1336〜1392)には後醍醐天皇の篤い信仰により当社は栄えたと伝えられている。
 八咫烏の咫(あた)は長さの単位で、親指と人差し指を広げた長さ(約18cm)をいう。したがって八咫烏は体長が1.4mを越える巨大
な烏となる。
 熊野地方では、三本足の八咫烏は太陽の化身、またはミサキ神(神使=神の使い)として信仰されてきた。
 熊野三山の幟(のぼり)は八咫烏が描かれている。
 鴨建角身命の化身という八咫烏を祭る神社は、ほかにも下鴨神社などがある。
 八咫烏⇒⇒⇒