建部大社地図

   

御由緒【官幣大社】

景行天皇四十六年神勅により、日本武尊の御妃布多遅比売命が神崎郡

建部の郷に、日本武尊の神霊を奉斎されたのが当社の始まりとされてい

ます。

その後、天武天皇(白鳳四年)今から凡そ一三00年前に近江国府の所在

地であった瀬田の地に遷し祀られ、近江國の一之宮と定められました。

歴朝をはじめ武門武将からの御尊信篤く、なかでも平家に捕われた源頼

朝公が伊豆へと向かう途中、当社に立ち寄り源氏再興を祈願されたと伝

わります。以来、出世開運・除災厄除の神と崇敬される所以です。 

   

祭神

本殿 日本武尊(やまとたけるのみこと)

相殿 天明玉命(あめのあかるたまのみこと)

権殿 大己貴命(おおなむちのみこと)


 御祭神の日本武尊は僅か十六才にて熊襲を討ち更に東国を平定

され、三十二才にして伊勢の能褒野に於て遂に崩御された。父君

景行天皇は尊の亡くなったことを大変嘆かれ、御名代として建部

を定めその功名を伝えられた。景行天皇四十六年(三一六)神勅に

より、日本武尊の御妃、布多遅比売命が御子、稲依別命と共に住

んで居られた神崎郡建部の郷に社殿を創建し、尊を祀られたのが

創祀とされる。

天武天皇白鳳四年(六七五)四月に建部公安麿が国司の命を奉じ

て近江国府の設けられた瀬田郷大野山山頂に近江国の守護神とし

て遷し奉り、孝謙天皇天平勝宝七年(七五五)に建部公伊賀麿が大

野山の嶺から現在の地、瀬田神領に奉遷したと伝えられる。又、

大和国一宮大神神社より大己貴命を勧請して権殿に配祀された。

歴朝の御尊信、武門武将の崇敬篤く、中でも源頼朝は伊豆に流

される途中、当社に参籠して武運長久を祈願し、後年源氏再興の

宿願成って上洛の際、幾多の神宝と神領を寄進した。 

 

 
 神門 三本杉と祈祷所 
   建部大社は、日本武尊を祀る由緒ある神社です。,ミコトを祀る社ということで、
歴代の朝廷から篤い尊信を受け、ま
た武将たちからも深い崇敬を集めてきました。
日本武尊
は、記紀(古事記·日本書紀)に登場する英雄です。
   
 
     
 日本銀行兌換券 甲千円紙幣終戦直後の昭和二十年に日本で初の千円紙幣が発行されまし

た。この紙幣の図柄となったのが日本武尊の肖像画と建部大社です。発行枚数が極めて少なく

幻の紙幣とされています。

 
   
女神像   宝物殿
  女神像(重文・安時代)日本武尊の御妃とされています。口元を袖で覆い、容易に姿

を見せないという神の在り方を暗示されているのか。おしとやかな平安女官の印象が
最大の魅
力とされています。 

     
日本武尊の西征 女装し熊襲兄弟を討つ  日本武尊と草薙剣  弟橘媛投身 
   
 伊吹山の神 白鳥伝説