惣社水分神社 上社地図
宇太水分神社 中社地図
宇太水分神社 下社地図
血原橋 地図
宇賀神社 地図
八咫烏神社 地図
桜実神社 地図
八房杉 地図
菟田高城 地図
万法寺 地図

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  𡧃太水分神社は、『古事記』などに伝える崇神天皇の
創建とされる古社。水分の神は、水配り、つまり農耕

にもっとも重要な水の配分を司る神のこと。豊作を祈願し
て水源地などに祀られ、古くから人々の信仰を集めてき
た。

 大和朝廷では、東西南北、つまり、宇陀(上社・中社・下社)、
葛城、吉野都祁の地に四つの水分社が祀られ、東の宇太
水分神社はその一つ。

惣社水分神社 上社
   
 
 
     
 

惣社水分神社御神輿(鳳輦・ほうれんみこし·重要文化財)

 南北朝の頃に建造されたもので、今から六百年前のもの

である。:

 その形態は清楚で典雅のおもむきを備え、木造漆塗で

細部の技風も卓抜している。

 屋根は、宝形造りでふっくらした照起(てりむく)りとなって
おり、屋上に鳳凰をいただき、各隅木の木鼻が伸び、屋根
全体をひきしめている。

 軒は、吊り金物細工で飾られ、その姿は壮厳である。

保存がよく建造当初の姿をよく残しており、鳳凰も当初のも
ので全国にその類をみない鳳輦みこしである。

 鳳輦みこしとは、屋形の上に鳳凰を付けた御輿で、天皇
の乗物の美称である。

 秋まつり (十月二十一日)の「御渡り」には、このみこし」を
中心として時代行列を整え、古市揚に鎮座する宇太水分神
社へ渡る。

 古式ゆたかな祭礼の行列が延々と続く情景は、正に優雅

な豪華絵巻をみる想いであり、近郷近在屈指のお祭りで

ある。

 昭和三十一年 (一九五六)国の重要文化財に指定された。

   




宇太水分神社 中社
   
御本殿向かって右より

 第一殿  御祭神 天水分神

 第二殿  御祭神_速秋津彦命

 第三殿  御祭神 国 水 分 神

重要文化財  春日神社

重要文化財  宗像神社

境內社 恵比須神社  金刀毘羅神社

鎮座地 宇陀市菟田野区古市場二四五

 崇神天皇七年二月の勅祭の大社で、水の配分の守護神として、大和の東西南北
に祀られた東に当たる神社で本殿は鎌倉時代の元応二年の建造である。 

尚、永禄元年以降に施された彩色が、平成十六年に復元になりました。

 
 

 丹塗りの朱色が鮮やかな社殿が5棟、横並びになっ

て高い杉木立を背に立っている。ふき替えたばかりの

桧皮屋根がすがすがしい。近づくと、社殿に描かれた

極彩色の草花などの絵や文様が見える。3月に保存修

理工事が終わったばかりの菟田野町の古社、宇太水分

神社に華やぎがよみがえった。

 同神社は、吉野水分(吉野町) 、都祁水分(都祁

村) 、葛木水分(徊所市)各神社とともに「大和四水分社
として知られる。ミクマリの神は分水嶺に鎮座

し、水流の分配をつかさどる神とされる。

 だが、今回は水の神様ではなく、社殿の方に興味を

もって訪ねた。何しろ、5棟のうち3棟が国宝、2棟

が重要文化財というからすごい。さらに、極彩色の絵

や文様は神社建築では最古の室町時代後期だという。

 5棟は桧皮屋根が寿命にきたのと丹塗りの塗装が退

色したため、県文化財保存事務所が01年12月から修理

を始めた。工事は02年9月に終わったが、この過程

で、極彩色の絵や文様が柱上部などにうっすらと残っ

ていることがわかった。これを復元するため、工期を

延長して調査し、ようやく完成した。

 重文や国宝クラスの神社の社殿は、社殿を囲う瑞垣

に隠れて外からは全く見えないか、一部しか見えない

ものが多い。だが、ここの瑞垣は低いので、社殿の外

観がよく見える。絵や文様の細部も観察できる。

 国宝の社殿は同神社本殿の第一、第二、第三殿で、

互いに近接している。正面に向拝(張り出し部分)が

ある春日造りの一種で、向拝の2本の柱の頂部をつな

ぐ横架材に、藍と白色で波涛が描かれている。いか

にも水の神社らしいが、とくに中央の第二殿の絵は波

が砕け散る様が大海のような激しさだ。

 向拝の柱にも唐草文様が描かれている。文様は瑞垣

の外から見える柱の上部だけにほどこされ、下部は何

の装飾もない。

 向拝の奥の建物本体を見ると、4本の丸柱となげし

にキク、キリ、ボタンなど華やかな草花が絵画風にち

りばめられて描かれている。色は地が金箔、藍、丹

で、絵の部分が赤、緑青,白など多彩だ。

 県教委によると、宇太水分神社の本殿は、第一殿

(南殿)の棟木の銘文から鎌倉時代後期の1320年

に建立された。神社建築では非常に古く、年代がわか

る基準作として貴重という。

 極彩色の絵や文様が描かれたのは、1558年の改

修時とみられている。寺院の場合、礼拝場所の堂内の

柱などに絵を描くことは飛鳥時代にさかのぼる。神社

の場合は礼拝場所は外部だが、社殿の外側に極彩色の

絵や文様を施すのは桃山文化の時代(1573~16

14)に流行した。そのさきがけとなる試みが、山深兎

田野の地で行われていたのである。
2004-4-20 朝日新聞
(沖真治)

 
   
 
 
 

十月第三日曜日の例大祭 は、平 安 時 代から伝わる
神舆渡御祭で惣社水分神社から姫神様がお渡りになリます。   

 宇陀市菟田野古市場の宇太水分神社は、「みくまりさ

ん」と呼ばれ、古くから親しまれてきた。文字通り水をつ

かさどる神様をまつり、北の都祁、南の吉野、西の葛木の

各水分神社と共に大和の水を守ってきた。

 天を突く高い杉木立を背に丹塗りの社殿が、全部で

5棟。うち、横一線に並ぶ3棟が本殿。連結社殿の原

初形式を今に伝える。建造が鎌倉時代末期とはっきり

しており、国宝に指定されている。摂社の春日神社本

殿、宗像神社本殿も重要文化財だ。

 社殿を囲む瑞垣越しに目を凝らすと、彩色の竜やシ

ラサギ、滝登りのコイの背に仙人の姿が見える。檜皮

葺の屋根の葺き替えなどをした2001年からの「平

成の大修理」で、極彩色の装飾も復元された。

 「水が集まるところに人が集まり、村ができ、稲作

が盛んになった。その中心が当神社だったのです」

三家一彦宮司( 74 )は厳かな物腰で由来を語る。ひょっ

こり姿を見せた氏子総代の森本泰央さん( 74 )は「子ど

もの頃、境内でよく遊びほした。薪を拾いによく裏山

に登ったもんですよ」と懐かしむ。

 4、5年前から神社を軸に「町おこし」への機運も

広がり始めている。仕掛け人で製材業を営む田中圭

一さん( 65 )は力を込めて言った。

 「みくまりさんの求心力をお借りしない手はない。

国宝に重文、ほかの町にはない宝物が鎮座されている

のですから」

 気のあった仲間が寄り合い、あれこれ話すうち、境

内で年に一度、「春祭り」を開くことがトントン拍子

で決ほった。神社の前を流れる芳野川の土手には約2

50本の桜もある。祭りも花見も一緒に楽しめる。

 春祭りは名付けて「うたの夢街道」。先月7, 8日

に3回目の祭りが開かれた。和太鼓や影絵、フラダ

ンスにコーラス、中学生のブラスバンドも出演した。

桜はほだつぼみのままだったが、祭りでは町のだれも

が主役だった。

 裏方の一人、主婦安田智子さん( 53 )は「このままじ

っとしていては廃れていくだけ。町の素晴らしさをま

ず自分たちで見直そうと動き始めた」と振り返る。こ

の春、古市場かいわいの魅力をいっぱいに盛り込んだ

ガイドマップもできた。

 田中さんは「今年の夢街道は寒かった。桜もダメだ

ったが、たくさんの人が来てくれた。もっと頑張れ

まだまだやれるということかな」と話した。
(喜田洋)2021-5-8 朝日新聞



宇太水分神社 下社
 
   
祭神 天水分神
    国水分神
    天児屋根命 
 
   
 




血原橋 
 
宇賀志の血原⇒ 


宇賀神社
 
   
 
 
子もうけ石(陰陽石)

 この手洗い石は陰陽の形をした

奇石。台が陽石(男性)上に乗る

鉢石が陰石(女性)をあらわして

いて、夫婦でこの石を撫でると子

宝が授かると伝えられています。

 大昔この辺りは海であり、噴火

により突出したものと考えられる

地層が海底の状態であり化石がた

くさんでます。その化石に小石が

入っているので子もうけ石と言わ

「れています。



八咫烏神社
 
 武角身命(たけつのみのみこと・建角身命)を祭神とする八咫鳥神社は、『続日本紀
に慶雲 2 年(705年)9月、八咫鳥の社を大倭国𡧃太郡に置いて祭らせたことがみえ、

これが当社の創祀となっています。江户時代(文政年間、(1818~1830)には、これまで
石神殿であったものが春日造りの社殿となりました。その後、紀元二千六百年を記念し
て社域を拡張、整備し、現在に至っています。

 『古事記』、『日本書紀』によると神武天皇が熊野から大和へと入ろうとしたときに道案
内し、重要な役割をつとめたのが八咫烏(武角身命の化身)です。八咫烏は、中国の陽鳥
としての考え方が影響しているようです。

八咫烏伝承は、もともと字陀の在地氏族に伝承されていたと思われますが、8世紀以降、
山城の贺茂県主が有力となってからは、贺茂氏が祖とする武角身命が八咫為となった
ようです。

 
   
   




桜実神社・ 八房杉・菟田高城地図
 
   
 
   

八ツ房杉(天然記念物)

 神武天皇が大和平定のために陣

を張っていた時に植えられたもの

と伝えられ、桜実神社の境内にあ

る杉の巨木です。ひとつの株から

仲びた八本の幹が互いに絡締み合
いある幹は途中で一本になり、再び

|分かれるといった極めて珍しい樹

形が目をひきます。根本の周囲約

9m、樹高は約14m。

菟田(うだ)の高城

 神武天皇が八思烏に導かれて大和

の国に入ってきたときに、軍の休息に
築いたといわれるわが国最古の城跡。 

   


 
万法寺 地図
   
   
 
万法寺

 当寺は浄土真宗本願寺派、永和三年

(一三七七)の創建で、天正十三年 (一五

八五)に現在地に新たに寺地を開いたと伝

えられている。本堂は、承応二年 (一六五

三)の建物と考えられ、平成五年、県指定

有形文化財となっている。













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