近江神宮地図

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 外拝殿から本殿・内拝殿を望む 外拝殿  内拝殿 
祭神 天智天皇(天命開別大神・あめみことひらかすわけのおおかみ)

由緒 天智天皇の事績は、明治維新に至る1200年の基礎となり、古く奈良時代から、歴代の

天皇陛下のなかでも別格の位置におかれ、格別の崇敬がありました。この1300年にわたる敬仰の歴史の

上に、全国崇敬者の熱誠により、昭和15年11月7日、天智天皇の古都·近江大津京ゆかりの大津市錦織

南志賀(現神宮町)の地に御鎮座になりました。

 戦後の発掘調査により近江大津宮の一角に間違いないことが確定的となった地です。当時の社格は官

幣大社。やがて勅祭社(全16社)に定められ、4月20日の例祭(近江大津京遷都記念日)には宮中より

勅使が御差遣されています。


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 一の鳥居 手水舎 
   
楼門と日時計(手前)   時計館・宝物館
   
 漏刻(水時計) 古代火時計 

漏刻

 天智天皇が御在世10年(西暦671年)近江大津宮(今の近江神宮の付近)

に初めて漏刻台(水時計)を設け、あまねく国民に時を知らされたことは、日

本書紀に「漏刻(ときのきざみ)を新台に置きて始めて候時(とき)を打ち鐘

鼓をならす。始めて漏刻を用ふ。この漏刻は天皇の皇太子にまします時に始め

てみづからつくりたまふ所なり」と伝えられています。

 大正9年に制定された<時の記念日>は、そのご神徳を後世に伝え、正しい時

間の観念の普及をうながす目的をもって、天智天皇が漏刻を置かれた4月25

日 (太陰暦)を太陽暦に換算して6月10日と定められました。

6月10日<時の記念日>には近江神宮において<漏刻祭>が盛大に執り行

われております。

 この漏刻の模型は一目盛りがおよそ10分間を示すように作られています。
 飛鳥水落遺跡漏剋⇒⇒⇒
 

古代火時計 FIRE CLOCK

 この火時計は約4000年前、中国にて、おもに夜間の時間を計るも

のとして用いられたもので、龍の背に等間隔に計14個の銅球が吊り

下げられており、糸の下を燃え進む線香の火が糸を焼き切り、球が落

下し、下に設けられたドラが鳴って時を告げるものです。

この時計は1間隔がおよそ2時間を示すように作られています。

 
 内拝殿
 
 楼門と外拝殿
 
栖松遥拝殿 

 この社は、大正天皇の聖旨に依り有栖川宮の祭祀を

継承された高松宮宣仁親王が、御成婚のち東京高輪の

宮邸内に御創建、妃殿下ともども日々礼拝しておられた

御霊屋であります。 

 両殿下薨去後,高松宮とご縁の深い近江神宮境内へ

お移しすることとなり、今般原寸通りの復元移築工事が

完了、栖松遥拝殿と名づけられよした。命名の由来は、

有栖川宮の「栖」高松宮の松の、字づつを拝戴し、

栖むところ松の緑の如く清らかにの寓意をこめて、

宮様方の御遺徳を永く偲ばんが為であります。.ご参拝の

皆様方には併せて皇室の御繁栄と国運の隆昌・開運安寧

とをご祈念下さい。
   平成十九年三月吉日   近江神宮

   
  神楽殿 
   
  内院回廊 
     

 百人一首競技かるたが漫画や映画でも取り上げられるなど、ことに正月の
名人位クイーン位決定戦はよく知られると
ころとなってきました。
 境内には奉納された板かるたの額も展示されています。