紙祖神 岡太神社・大瀧神社(おかもと・おおたき)地図

   
 屋根は「日本一複雑な屋根」の異名を持ち見る者に向かってせり出してくるような多重構造は他に類を見ない

 紙祖神川上御前をお祀りする岡太神社は、延喜式神名帳(九二七)にも記載されている古社です。

大瀧神社の発祥は、推古天皇の代に大伴連の勧進に始まり、養老三年(七一九)に泰澄大師によ
って、川上御前を守護神とし
十一面観世音菩薩を本地とする大瀧兒権現·大瀧寺が創建された事
に始まり
ます。

 天正三年(一五七五)に織田信長配下の滝川一益によって全山悉く灰燼に帰しましたが、直後に
府中三人衆(前田利家.佐々成政.不
破光治)によって「大瀧神郷紙座」が安堵され、再興されます。

 明治になり、神仏分離令によって大瀧兒権現·大瀧寺は大瀧神社と改称され、現在に至ってい
ます。

 天保十四年(一八四四)に再興された下宮の本殿·拝殿は、昭和五十九年に重要文化財に指定
されました。
 

 大瀧神社⇒⇒⇒ 白山比咩神社⇒⇒⇒
       
   
   
 扁額には大滝神社・岡太神社  
     
 神輿殿    
       
  境内の石灯籠には越前和紙が貼ってある 

 7世紀頃に創建され、後に泰澄大師が白山信仰の道場を開いたこの大瀧 岡太神社には、
この下宮(遥拝所)と権現山山頂(別名大徳山)に位置する
上宮本社(奥の院)があります。
下宮は、 本殿,拝殿,神門·回廊や神輿殿
で構成されています。特に本殿·拝殿は総欅作りで、
鳳凰や獅子の精緻な
彫刻が施された近世寺社建築の粋を集めた複合社殿で、国の重要
文化財に
指定されています。また、境内には神仏習合の名残りを今に伝える
木造
十一面観世音菩薩坐像も安置されています。

 上宮には、奥の院三社と呼ばれる大瀧神社ならびに岡太神社の本社と八幡宮が並び立ち、
岡太神社には越前和紙の作り方を里人に伝えたとされる川上
御前が祀られ、紙の祖神として
崇敬を集めています。上宮までは整備された
遊歩道が続き、四季折々の景色を楽しみながら、
散策することができます。

特に途中の展望台から眺める、粟田部から武生盆地にかけての眺望は素晴らしく、山頂では
美しいブナ林と共に遠く白山を望むことができます。

大瀧神社のブナ林

 福井県内のブナ林の多くは標高600m以上の所に分布していますが、大瀧神社奥の院付近
(標高300m)のブナ林(約1ha)では約300本程度が残されて
おり、胸高直径1mを越す大木も多く
見られます。これ程標高が低い所に残
されているのはめずらしく、おそらく長期間、社叢林とし
て伐採を免れて
きたためと思われます。

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