第4番 高雄山 岩船寺地図

   
 山門  三重塔(重文)
三重塔(重文)
  天長二年(825)智泉大徳入滅後、10年をを過ぎて承和年間(834〜847)に、
仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで宝塔を建立されたものであると伝えられる。  
   
 本堂   十三重石塔(重文)
 奈良市に近く、静かな山間に建ち、老樹に囲まれている。
 寺は、天平元年(729)、聖武天皇の勅願で行基が創建したのに始まる。
 弘仁4年(813)、嵯峨天皇の命で皇子(のちの仁明天皇)の
誕生を祈って効があり、堂塔を建て、岩船寺と称した。盛時には堂塔39を
数えたが、承久の変(1221)の兵火でその多くを焼失した。
 その後、室町時代に三重塔が建立され、江戸時代に本堂と本尊の修復をした。
 昭和63年(1988)に再建された新本堂堂内に丈六の阿弥陀如来座像(重文)
を安置する。
 本堂には、ほかに普賢菩薩騎象像(重文)、四天王像等が祀られる。
岩船寺縁起
十三重石塔(重文)
  正和3年(1314)に、妙空僧正の造立と伝えられる。1943年(昭和18年)石仏を積
みなおした時、軸石のくぼみに水晶の五輪塔が発見されたが元通りに納められた。
十三重の塔追加 
わらいぼとけ 石風呂(岩船)
 浄瑠璃寺へ通じる野道は当尾の石仏群が有名。
 永仁七年(1287)銘の入った中尊阿弥陀三尊磨崖仏。
 左観音菩薩坐像、右勢至菩薩坐像。  
 鎌倉時代僧呂が身を清めた。この岩船が岩船寺の由来といわれている。 
石室不動明王(重文) 阿弥陀如来坐像(重文)
石室不動明王(重文) 
 応長2年(1312)塔頭湯屋坊の住僧盛現が眼病に苦しみ、不動明王に7日間の
断食修法をされ、成満日には不思議にも眼病平癒された 。
そして報恩のために自ら不動明王を彫刻安置し、入滅の時「我が後生の凡俗に
て眼病に苦しむ者あれば、必ず岩船寺の不動明王を断念せよ。
7日間に祈願成就する」と遺言され、今日に至るまで霊験にあやかろうと多くの参拝
がある。 
阿弥陀如来坐像(重文) 
 藤原初期の作で(天慶9年946)、行基の作と伝えられている。欅の一木造りで、
高さ284.5cm。


















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