葵祭(賀茂祭)

五穀豊穣を願って欽明天皇の頃に始まったとされる上賀茂神社と下鴨神社の祭礼。応仁の乱や大平洋戦争などで何度も中断したが再興され、王朝文化を
今に伝える。
正式名称は賀茂祭(かもさい)。葵の葉を社殿や装束に飾るため、江戸期には葵祭と呼ばれるようになった。
5月15日、勅使、斎王代や牛車、風流傘など平安貴族を再現した総勢500人の行列が京都御所から、下鴨神社を経て上賀茂神社で行われる例祭で、祇園祭・時代祭とともに京都三大祭の一つ。いまからおよそ1400年前の欽明天皇のころから始まると伝え、古くからきわめて優美な祭礼で、中世では単に祭といえば、この葵祭をさすほど有名であった。また石清水八幡宮(いわしみず)の大祭を南の祭というのにたいして賀茂祭を北の祭といった。
ヒロイン役・斎王代(さいおうだい)の優雅な姿が注目を集める。
世界遺産の下鴨神社・上賀茂神社の紋であるアオイは、古くは「あふひ」と書いた。神と逢う日。葵祭りは、人々と神を結ぶ祭りである。
当日は未明に神職以下京都御所に参集して装束をつけ、列を整えて午前9時に宣秋門を出て、築地に沿って建礼門前ををすぎ、の大宮御所の北に沿って清和院御門を出て、左に折れて河原町を北進し、鴨川べりに出て葵橋を渡り、下鴨神社に到着。祭典は午前11時に終わり、更に行列を整えて鴨川の西堤を北西に上賀茂神社に至り、午後2時から同様の儀式を行って葵祭を終える。この日社頭を初め輩車のすだれ、供奉員の衣冠から民家の門・参拝者の頭髪・衣装にまで葵の葉を着けるので、葵祭の名が起ったのである。美しく装飾された牛にひかれる御所車・牛飼の童子・白丁・雑色(ぞおしき)騎馬束帯の上卿・舎人(とねり)・随身等すべて昔ながらのあでやかな装束の行列である。
前儀として3日流鏑馬(やぶさめ)神事、5日鳴弦蟇目神事(めいげんひきめ・修祓)、10日斎王代以下女人の御禊の儀、12日に御蔭祭(神霊を迎える)を下鴨神社で行う。12日深夜には上賀茂神社で御阿礼神事(みあれ・非公開)が行われる。御蔭祭は別雷神の出現所といわれる比叡山麓の御蔭神社へ下鴨神社から錦蓋(にしきぶた)をのせた神馬が往復する。
上賀茂神社で4日に葵祭りの禊(みそぎ)の儀を行う。二葉葵の葉を頭にかざし十二ひとえまった斎王代が、4人の童女を従えて境内の御手洗(みたらし)
川に進み、両手の指先をそっと水に浸し身を清める。
 平安王朝の昔から、京都では、山といえば比叡山、祭りといえば加茂の祭りであったらしい。
 5月15日の、その葵祭もすぎた。
 葵祭の勅使の列に、斎王の列が加えられるようになったのは、昭和31年からである。
斎院にこもる前に、加茂川で身を清める、古式を生かしたものであるが、輿に乗った、小袿(こうちぎ)すがたの命婦(みょうぶ)を先に、女嬬(にょじゅ)、童女らをしたがえ、伶人(れいじん)に楽を奏でさせ、斎王は女子大学生ぐらいの年ごろであるから、みやびたうちにも花やかである。
  古都  川端康成  より