八大神社地図

武蔵 開悟の地 一乗下がり松の古木
祭神
素盞鳴命(すさのおのみこと)
櫛稲田姫命(くしいなだひめ)
八王子命
 もともと一乗寺の産土神で、古来、北天王(北の祇園)と称して、皇居守護神十二社の一社であり、
修学院離宮に行幸する後水尾霊元光格の各天皇が立ち寄ったとされる。
 
剣聖宮本武蔵と八大神社
 武蔵が一乗寺下(さが)り松に立って多数の敵にまみえた日のまだ朝の暗いうちに彼は死を期したこの危地へ来る途中で、
八大神社の前で足を止めて、「勝たせ給え。きょうこそは武蔵がが一生の大事」と彼は社頭を見かけて祈ろうとした。拝殿の
鰐口(わにぐち・本殿軒下につるす鈴)へまで手を触れかけたが、そのとき彼のどん底からむくむくわいた彼の本質が、その
気持ちを一蹴して、鰐口の鈴を振らずに、また祈りもせずに、そのまま下り松の決戦の場所へ駆け向かったという。
 武蔵が自分の壁書としていた独行道(どっきょうぎよう)のうちに、我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず
 を書いているその信念は、その折ふと心にひらめいた彼の悟道だったにちがいない。
 武蔵にこの開悟(かいご)を与えたことに依って、一乗寺下り松の果し合いはただの意趣喧嘩とはちがう一つの意味を持っ
たものと僕はそう解釈する。
 
 吉川英治「随筆宮本武蔵」より
 一乗寺の地名は、平安中期から中世にかけてこのあたりにあった天台宗の寺院に由来する。
寺は南北朝の動乱後、廃絶したという。
 叡山鉄道の一乗駅の南には曼殊院道が東西に走る。駅から東へ曼殊院道を10分ほど歩くと、白川道を渡った先に
「一乗下り松」がある。
 近江から比叡山を経て京に入る旅人の目印とされ、剣豪宮本武蔵が使用軍家師範も務めた吉岡一門と決闘した場所
と伝わっている。
当時の松の幹の一部が近くに八大神社に保管され、現在の松は4代目と云われている。神社の隣に、詩仙堂がある。
   
地図
武蔵が吉岡一門と闘った地。
一乗寺下り松。 
 若き日の武蔵像