曼殊院地図

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 正門の勅使門
天台宗 
本尊 阿弥陀如来
開基 伝教大師
 天暦年間(947〜956)北野神社の別当職となったことがあり、
文明年間(1469〜1486)から法親王が住持となり竹の内門跡
といわれていた名刹であった。
八窓の茶室(重文)
 茶道・華道・香道・書道・画道がここから発信され、
京の文化の中心なっている。 曼殊院椿も有名。
 
 曼殊院通りの紅葉(2018−11−29)
 曼殊院は洛北の名刹である。妙法院三千院青蓮院、毘沙門堂とともに、天台宗の五門跡寺院に数えられる。10世紀、是算国師(ぜざん)の代に比叡山西塔に移って「東尾坊(とうびぼう)」と号した。12世紀、忠尋大僧正(ちゅうじん)の時代に「曼殊院」と寺号を改めた。
 現在の場所に定まったのは江戸時代明暦2年(1656)、良尚法親王(りょうしょうほっしんのう)の時である。
 枯山水の庭園には霧島ツツジ、五葉松などが植えられている。紅葉の美しさでも知られている。大書院や小書院では欄間や釘隠しにも意匠が凝らされている。
 
 是算国師:菅原家の出身で、北野天満宮の初代別当となり、以後、明治維新まで歴代住職が別当を務めた。
 良尚法親王:桂離宮を造営した八条宮智仁親王の第二皇子。茶道、華道、香道、書道、歌道をたしなむ教養人。
 曼殊:サンスクリット語で妙楽、愛楽の意味。
 曼殊院門跡の所在地は、ふるめかしくいえば、一乗寺村竹内(たけのうち)で、中世以後、西麓から叡山へのぼる重要な坂であった雲母坂(きらら)の坂にある。
 かってはこのあたりの西麓に竹藪が多かったから、曼殊院の所在地は、竹内とよばれた。中世の京都では、貴族の邸宅や別荘を、その所在する地名でよぶことが多かったから、ふつう、「竹内御殿」とよばれた。小さな地名を冠(かん)してよぶこのようなよび方は、よぶたびに山川草木がそこに顕(あらわ)れ出るような感じがしてじつにいい。・・・
 この寺が寺院というより、桃山期という芸術意識の昂揚した時代をへた公家の別荘といったものであるということだった。
 
 司馬遼太郎 街道をゆく  より
 
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