青蓮院地図

 明治維新直後各地の仏像が破壊される中、粟田神社の本地仏(神の正体とされる仏)である薬師如来も撤去させられ、
青蓮院でまつることになった。年に一度神が乗った神輿が通るのは、神仏融合の象徴ともいえる。 
 樹齢800年と言われるこのクスノキは、青蓮院の築地の上に4本、さらに境内の庭園内に1本が生育している。
 樹高は最大のもので26.1mに達する。いずれも幹から大枝を伸ばし、クスノキに特徴的な半径形のこんもりとしてみごとな樹冠を形成し、
樹勢も良好である。
 天台宗に属し、三千院(梶井門跡)、妙法院と並ぶ天台三門跡の一つで、
山号はなく粟田御所ともよばれる。
比叡山東塔南谷に伝教大師最澄が僧侶の住居として建てた青蓮坊が起りで、
その12代行玄(天台座主)が鳥羽法皇の御帰依を得て、
その皇子覚快法親王を托されて、京都の里坊を拡充して以来、門跡の称号が起り、
親王は第2世門主となられた。
皇族・摂関家の子弟が入室される例となって、天台宗で最高の寺格をもつ寺となった。
 建物は応仁の乱で焼失したが、江戸時代に再建され、
天明の京都大火にさいし後桜町上皇の仮御所となった。
門主は代々名僧が任ぜられ、17世入道尊円親王は能書をもって知られ、
青蓮院流(のちの御家流)をひらかれた。

青蓮院追加⇒⇒⇒
 12世紀末に親鸞上人に植えられたとも伝えられているが、
クスノキが現在の境内の地割り沿って生育していることから、
青蓮院が現地へ移転した13世紀以降に植栽されたものと考えられる。