妙法院地図
天台宗延暦寺別院 本尊 普賢菩薩騎象像(重文) |
延暦年間の創立。 新日吉門跡といい、梶井門跡(かじい・三千院)、 青蓮院門跡(しょうれん)と並ぶ天台宗の三門跡寺院の一つ。 もと比叡山三千坊の一である。 近世まで世々法親王が住職となり、 室町時代には八カ町におよび寺運は隆盛をきわめた。 現に蓮華法院(三十三間堂)はこの寺に属し、 また方広寺・大興徳殿・香雪院などを管理していた。 |
本尊の普賢菩薩騎象像は平安時代の作で、蓮華座に座った 菩薩が象の背中に乗る。象の4本の足は丸い台座に乗っている。 その前にもう一つの同じ形の台座がある。 |
本堂は江戸時代中期に建てられた。 二層瓦葺きの建物で間口7.1m 奥行き8.9m。 本尊の背後の壁画には日本画家・石踊達哉の蓮の絵が描かれている。 |
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江戸時代の妙法院は文化サロンのようであった。伊藤若冲(じゃくちゅう)が来たり、丸山応挙が 来たりしていた。 |
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豊臣秀吉による造営と伝わる庫裏(国宝)でも知られる(秀吉が催した千僧法要ゆかりがある)。 文禄4年(1595)、方広寺大仏殿を完成させた豊臣秀吉が千僧供養会を開催。集めた僧の 食事が支度された。 板間中央には「得此生」(この生を得る)の額がかかる。 江戸期の尭恭法親王(ぎょうきょう)が鍋の蓋に書いた。 天井には長大な梁と貫(ぬき)が重なり、豪華な小屋組となっている。 |
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東山七条界隈は文化財の密集地帯であり、殊に豪壮な石垣
と外塀に囲まれた妙法院は一..際格調の高さを示している。
当院は、延暦寺の支院として比叡山上に創建された天台宗門跡寺院で,のち祇園の綾小路に門室を構え,江戸初期に現 在の地、すなわち後白河法皇が構えた法住寺殿の故地に本拠を移し、大仏殿力廣寺・蓮華王院を管領し、 尊王攘夷気運が高まる文久三年(一八六三)八月,勤王派三条実美を始めとする 庫裏(国宝)は境内の中央に高く聳える豊臣秀吉の千僧供養ゆかりの建物で、 普賢堂は当院の本堂にあたり、本尊は普賢菩薩騎象像(重要文化財)である。 |
本尊 普賢菩薩騎像(重文) | 庫裏内部(国宝) |
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