雲林院地図

 雲林院は、平安時代の紫野の史跡である。この付近一帯は広大な荒野で、狩猟も行われていた。淳和天皇は、ここに広大な離宮紫野院を造られ、度々行幸された。桜や紅葉の名所として知られ、文人を交えての歌舞の宴も行われた。後に、仁明天皇皇子常康親王に伝えられる。貞観11年(869)に僧正遍昭を招き雲林院と呼ばれ、官寺となった。寺としての雲林院は菩提講が名高い。歴史物語「大鏡」は、この菩提講で落ち合った老人の昔物語という趣向で展開する。「源氏物語」「伊勢物語」にも雲林院の名は現れ、「古今集」以下歌枕としても有名で、謡曲「雲林院」はそうした昔をしのんで作られている。
 鎌倉時代には、雲林院の敷地に大徳寺が建立された。現在の観音堂は宝永4年(1707)に再建され、十一面千手観世音菩薩像、大徳寺開山大燈国師像を安置している。
  
謡曲「雲林院」と雲林院
 謡曲「雲林院」の概要は、摂津の国芦屋の在原公光は、幼少の頃から伊勢物語の心酔者であった。或夜、京都紫野雲林院で在原業平と二條后とが伊勢物語を持って佇んでいる夢を見たので不思議に思い雲林院まで来た。老翁のすすめで木陰に付して寝ていると、やがて業平の霊が現れて伊勢物語の秘事(恋愛の事)を語り、その時の思い出に折からの桜月夜に興じて舞いの袖をひるがえすうちに夜も明けて公光の夢は覚めたのであった。という風雅な情緒ある物語である。
 雲林院はもと淳和天皇の離宮であった。後に僧正遍昭が奏して元慶寺別院として著名な大伽藍であったが、南北朝の頃から荒廃、後醍醐天皇の御代其敷地を大燈国師に賜り大徳寺の発祥の地となった。然し現在は観音堂と当寺だけの物淋しいたたずまいである。
遍照と小野小町  謡曲