5 紫は ほのさすものぞ

歌 作者不詳
 巻12−3102
筆 今東光

地図
紫者
灰指物曽
海石榴市之
八十街尓
相兒哉誰
むらさきは
ほのさすもの
つばいちの
やそのちまたに
あへるこやだれ
紫は
ほのさすものぞ
海石榴市の
八十のちまたに
逢へる子や誰
つば市の辻で逢った貴女は、何というお名前ですか。
紫色に染めるためには灰の汁を入れる。これを加えると美しくなる。
紫が相手の女、灰汁の私、名を聞くことは求婚を意味する。
男の歌にたいして、女の歌は
 たらちねの 母が呼ぶ名を 申さねど 道行き人を 誰と知りてか
いま会ったばかりの道行き人、どこの誰ともわからない人の名前がいえるかと反撥する。

紫は 灰さすものそ:海石榴市にかかる序詞
多年草である紫草の根を熱湯に浸して杵でつき色素を抽出する。
つばき等の灰汁を用いたので、紫染めにはその灰をさすつばきと詠われた。

海石榴市は谷の口元に位置し、道が交差する八十のちまた(街・
港・衝・術)であった。

この二首は実際に特定の二人におこなわれたものなどではないらしい。
長く歌垣に伝えられたものを、皆がよろこんで歌ったものだ。

 古代では、男性が女性の本名を聞くことがプロポーズでした。
当時、本名は魂にも相当するものと考えられていて、
本名を明かすということは結
婚OKということ。
紫色は当時、高貴な色とされており、美しい紫色を出すには、
椿の灰を混ぜると良いとされていました。相手の女性を「紫」に

自分を「灰」に例え、「あなたは美しい。でも僕と結婚すると、
もっと綺麗になるよ」と口説いているのです。
 


 この金屋のあたりは古代の市場海石榴市のあったところで、三輪・石上を経て
奈良への山の辺の道、
初瀬への初瀬街道・飛鳥地方への磐余の道・大阪河内和泉から竹之内街道などの道からここに集まり、
大阪難波からの舟の便もあり大いににぎわった。
 春秋特定の日に大勢の男女が一同に会し、歌を掛け合って求愛する風習があった。
 古代の紫は深紅であって、今の紫とはちがう。
今の紫にもっと赤みの加わったもので、外国でも古代紫というのはやはり深紅である。
 古代紫が、高貴な服色とされたのは、世界共通で、法王庁の枢機卿を「紫の位」といい、
イギリスでは戴冠式に国王が、紫のガウンを着ることになっている。
 日本でも、紫は三位以上の高貴の人のみに許された服色で、これを禁色(きんじき)と呼んだ。
下々の者がこの禁色を犯すと処罰された。
 紫の染色は、高級な技術を要した。媒染剤には椿の灰を用いたということである。
 金屋の石仏二体が安置されている。⇒⇒⇒
右が釈迦如来・左が弥勒菩薩と推定される。(重文)
 海柘榴市観音堂⇒⇒⇒
 チマタ⇒⇒⇒
 観音堂内には、二体の石仏が安置されており、右側が十一面観音立像、
左側が聖観音菩薩立像である。
 

 










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