第18代 反正天皇 (はんぜい)地図

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仁徳天皇(第三皇子)
磐之姫尊    
誕生━━
御名・異称多遅比端(たじひのみず)()(わけ)
皇夫人津野媛(つぬのひめ)
立太子…401年(履中天皇21.4
即位…406年(反正天皇元年)1.2  
在位年数
…4
崩御…410年(反正天皇5年)1.23  年令━━
皇居(たじ)(ひの)(しば)(がき)宮  年号━━
○淡路島で生まれ、履中天皇の弟であり、皇位が兄弟間で継承された。
淡路で生まれた際、(みずの)()の水を産物として用いた。そして、歯並びがことのほか美しかった。又上背も92寸と高く、容姿に恵まれていたといわれている。
○日本書記には「()の時に当たりて、風雨時に順いて、五穀成熟り、人民富饒いて天下太平なり」とあって、これ以外天皇の事跡は全く記されていない。このことから、反正天皇時代は平和な時代であった点が推測出来る。
○「宋書倭国伝」にみえる倭の五王のうち、「珍」にあてる説が有力視されている。
陵墓()()()(みみ)(はらの)(きたの)陵(田出井山古墳)  前方後円墳
所在地大阪府堺市北三国が丘町2
○御陵は現在「延喜諸陵式」によると、「兆域東西三町、南北二町、陵戸五烟、遠陵」と記されている。ほぼ南面の前方後円墳で三段築成であり、楯井山(田出井)と俗称され、鈴塚等の陪墳が存在する。百舌鳥耳原三陵中最小であるが全長148m、後円部径76m、高さ14m、前方部幅110m、高さ15mの規模で、西側くびれ部に造出しが付く大古墳である。
1981年(昭和56年)の外国の発掘調査で、浅い外濠の存在が確認された。よって、二重濠である。埴輪も知られており、主体部・副葬品は未詳であるが、長持形石棺を使用していると思われる。五世紀後半に比定されている。

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