大原野地図
京都市で東山、北山と並び称される西山。市の南西部に連なる山並みを指す。 そのやますそに大原野(おおはらの)と呼ばれる田園地帯が広がっている。 平安時代、貴族達の狩猟場としてしられ、伊勢物語や源氏物語の舞台となり、 歌にも数多く詠まれてきた。 田畑や竹林の間に民家が点在し、今も昔ながらの里山の風情を漂わせる。 ふだんは静かなこの地も、桜と紅葉の季節は観光客らで にぎわう。 |
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大原野は平安京ができる前から、桓武天皇が好んで鷹狩をしたといい、 ひなびた山里として親しまれてきた。 伊勢物語の舞台で藤原氏の氏神だった大原野神社、樹齢600年といわれる 天然記念物の遊龍松(ゆうりゅうのまつ)で知られる善峯寺など紅葉の名所も多い。 |
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桓武天皇は長岡京遷都に際し、藤原氏出身の皇后のために、大和の春日社の分霊を、 この地(平安京西郊、小塩山東麓)に勧請したことに始まり、平安時代に入って文徳天皇が 外祖父、藤原冬嗣の念願をうけて神殿を建立、地名にちなみ大原野神社とした。 当社は藤原氏の氏社として、斎王にならい藤原氏の子女を斎女としておいた。 藤原氏の皇后や中宮の参詣が多く、紫式部も中宮彰子(しょうし)について参詣しており、 また紫式部は、父藤原為時(ためとき)の任国である越前(福井)で、 雪の日野山をみながら小塩山を思い出し 「ここにかく日野の杉むら埋(うず)む雪、小塩の松に今日やまがへる」と詠っている。 源氏物語「行幸(みゆき)」では、冷泉帝が大原野行幸を行い、京の人々が見物に訪れるな か、玉蔓(たまかずら)や六条院の人々も車を寄せて行幸を見物している。 物忌(ものいみ)で同行しなかった光源氏は、 帝からの歌に応えて「小塩山みゆきつもれる松原に、今日ばかりなる跡やなからむ」 と寿(ことほ)いだ。 |