御柱祭木落と⇒⇒⇒ | |
上諏訪御柱木落しの場所⇒⇒⇒ | |
中央本線車窓⇒⇒⇒ | |
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長野県の諏訪湖周辺四か所にある諏訪大社は、一万余の分社・分霊があり全国諏訪神社の本社である。 通称お諏訪さま、諏訪大明神とも呼ばれる。 上下2社からなる神社で、上社本宮(かみしゃほんみや)、上社前宮(まえみや)からなる。 下社(しもしや)は春宮・秋宮からなる。 上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し、遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。 上社・下社とあるが社格に序列はない。 主祭神は建御名方神・八坂刀売神(やさかとめのかみ・建御名方神の妃) |
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社殿の四隅に御柱(おんばしら)とよぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。 6年に一度(7年目)に4月〜6月にかけて御柱祭や御神渡(おみわたり)の神事が行われる。 |
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関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮と梁塵秘抄(りょうじんひしょう)に謳われていて、軍神として、 また中世に狩猟神事を行っていたことから、狩猟・農耕・漁業などの守護神として尊崇される。 |
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祭神 建御名方神 八坂刀売神(やさかとめのかみ) |
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幣拝殿(重文) この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体になったもので幣拝殿と呼ばれている。 建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されている。 棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮幣拝殿より一年 早い安永9年(1780)に落成した。 春秋両宮は社殿構造は同じで当時は双方で技術が競われた。 |
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神楽殿 ご神前にお神楽を奉納するための建物で落成は江戸時代前期 天和年間(1681〜1684)もろのものである。 |
春宮一之御柱 | 春宮二之御柱 |
春宮の近くにある万治の石仏 地図 |
幣拝殿(重文) この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったものである。 二重楼門造りと呼ばれ二階は跳勾欄(先の反った欄干)を回し、 全体に見事な彫刻が施されている。 諏訪高島藩の命により安永10年(1781)に初代(立川流)棟梁 立川和四郎富棟によって造営された。 |
神楽殿(重文) ご神前に神楽を奉納するための建物で天保6年(1835)上社本宮幣拝殿を手掛けた 立川和四郎二代目富昌棟梁により落成した。 三方切妻造と呼ばれる様式で幣拝殿のような彫刻は見られない。 正面の大注連縄は御柱祭毎に新しく奉製され、重量は約1トンである。 |
境内近くのトイレでは、常時湯が出ている。 |
秋宮一之御柱 | 秋宮二之御柱 |
この丘の上から御柱を突出し上に乗る。 一時的に立つ。想像するだけで体がすくむ。 誰もが出来る事ではない。 |
下諏訪宿 |
入口御門 |
御柱の地面についた側は、平になり傷が付いている |
本宮二之御柱 |
前宮二之御柱 |