鹿島神宮地図

写真はK.I氏ご提供

   
拝殿 重文
祭神 武饔槌大神 
本殿 重文
 本殿拝殿は石間幣殿の4棟よりなる。
 元和5年(1619)徳川2代将軍秀忠奉納 
 常陸国一の宮
 全国に千社を数える鹿島神社の総本宮がこの鹿島神宮である。
 古代の関東部には、現在の霞ヶ浦・印旛沼・手賀沼を含む一帯に、内海(香取海)が広がっていた。
この内海は大和朝廷の蝦夷進出の基地として機能していたという。だから、内海の入口を支配下に
おく重要な位置にあった香取・鹿島両神宮は、その拠点とされた。
 両神宮の分霊は朝廷の威を示す神として東北沿岸部の各地に祭られた。
 鹿島神宮の社殿が北を向いているのも蝦夷を意識したからだと言われる。
     
 楼門 重文    仮殿
 奥宮 重文
楼門
寛永11年(1634)に水戸初代藩主徳川頼房の奉納 
奥宮  祭神 武饔槌大神荒魂
慶長10年(1605)家康奉納の旧本殿を元和5年(1619)に引遷したものである。 
   
 末社 熱田社  要石
 神世の昔、鹿島の大神が座とされた万葉集にいう石の御座とも或いは古代における大神奉斎
の座位として磐座と共に伝えられる霊石である。
利根川北岸の丘陵地に鎮座する鹿島神宮は、創建が神武天皇即位の年と伝えられる関東屈指の古社である。
万葉集には、東国から九州へと旅立つ防人たちが、鹿島の神に武運と安全を祈る歌が収められており、遠方に旅立つことを鹿島立ちという。 
祭神の武饔槌大神は、藤原氏の氏神であるとともに、武神としての武家の崇敬も篤い。
現社殿の内本殿・拝殿は徳川2代将軍秀忠、桃山時代の特色を示す奥宮社殿は家康が寄進した。楼門は、水戸藩初代藩主
頼房の造営。
直刀と黒漆平文太刀拵(ひょうもんたちこしらえ・奈良~平安時代・国宝)
直刀は、武饔槌大神 の佩刀(はいとう)「フツ霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の2代目として伝わる。
全国にある鹿島神宮の本社である。宮中の四方拝(しほうはい)で遥拝される一社でもある。また、香取神宮と古くから深い関係にあり、
鹿島・香取と並び称され、両神宮とも古来、朝廷からの崇敬が深い。その神威の背景には、両神宮とも軍神(武神)として信仰されたことに
あると言われる。
一の宮⇒⇒⇒
四方杯:一月一日に行われる皇室祭儀。
遥拝:遠く離れたところから神仏などをはるかに拝むこと。
春日大社⇒⇒⇒
枚岡神社⇒⇒⇒ 
宅春日神社⇒⇒⇒ 
鹿島神宮⇒⇒⇒ 
香取神宮⇒⇒⇒