高良神社・長寺
長林寺
楢神社
薬師堂(かぼちゃやくし)
興願寺
厳島神社
八幡神社
極楽寺
覚王寺
薬師堂
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高良神社・長寺(おさでら)地図
高良神社 |
長 寺遺 跡 この遺跡は、 奈良時代前期に建立された寺院跡である。 付近一带に古瓦片が散布し、長寺、瓦釜、大門、経堂など の地名を残している。近くには、同時代の寺院跡も数か所 点在Lている。この地点は、掘立柱建物跡二棟分が確認さ れた。建物一は、梁行二間、桁行三間まで検出されたが、 桁行はさらに西へ延びている。建物二は、梁行三間、桁行 四間で、まだ西と北へ延びている。この建物は、伽藍建築 の周辺建物と考えられる。 出土した瓦類のうち文様の明ら かなものは、軒丸瓦では、単弁八葉型と、複弁八葉型の蓮 華文である。軒平瓦は、均整唐草文で、楢池廃寺出土のも のとよく似ている。この地点は、寺院遺構のほかに、 弥生 |時代中期の遺構も調查され、土坑內より甕、壺、特殊小形 鉢、石包丁、石鏃、石臼などが出土した。長寺の「オサ」 を「通訳」に当てる説もあるが、この地で勢力のあった氏 族の建立になる私寺と考えられる。 高良神社境內地は、周辺より一段高く地形が保存されて おり、寺院の中心と推定できる。 今後とも古代寺院跡の遺構として保存すべきものである。
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高良神社境内にある 長寺 |
長林寺地図
楢神社地図
この神社を訪れて最初に目に入るのは竹の節のような輪を持つ鳥居。
実はこれ、銅板で作られており、その珍しい佇まいは日本書紀にも記され ている由緒あるものです。 |
樽神社 | 八幡神社 | |
祀られている詞梨帝母(かりていぼ)とは鬼子母神のこと。このご神体
がもっているザクロの実は種子の多い果実であることから、多産の御 利益があるといわれ子供の守護神として全国から信仰を集めます。こ の御神徳によって授かった子供には、『楢』『奈良』の字を頂いて命名 するという風習もあるそうです。また境内には実増井(三桝井)の井筒 があり、ここの井戸水は子供を授かる霊水ともいわれています。 今日もご神体にじっと手を合わせる親御さん、 それは数百年前から変わらない祈り·願いの風景です。 |
昭和30年頃まで五十狭芹彦命神社と称した。 元は宮山(東大寺山)に有った。弘化5年(1848)、八代目市川団十郎 、が奉納したという三桝井の井筒がある。 |
御祭神
五十狭芹彦(いそさせりひこ・別名吉備津彦) 御祭神五十狭芹彦は孝霊天皇第二皇子であらせられ、崇神天皇の勅命を奉じ四道将軍として山陽道を平定された勲功によ って山陽地方では,吉備津を平定された勲功によって山陽地方で警備津彦命と称え斎き祀り申しあげている。 当社の伝聞によれば、山陽首平定後、 一旦帰京され、再び勅を奉じ北陸道の平定に向かわれ、勲功をお建てになって彼の 地で崩禪された。その智·仁·勇に秀でられたご神徳を畏敬し慕い申しあげナラソヒコ (奈良豆比古)命と申しあげてお 祀り申しあげている。鬼子母神は、当社の古版木に 、「住吉、加賀国白山の嶺に現れ給いて、御神諱を石川比売命と号し奉 る。御本地は訶黎帝母に在し、此神慈照方便深くして抜苦与楽の御神なり。御神誓空しからず和光同慶の眼を開き給い小 児を愛し万民撫育し給うこと世の知れる処となり」とある。更に「白山から天真榊に乗って当地に影向あらせられた」と ある。この二柱の御神霊を併せ崇めて楢大明神と称え奉り祭祀奉る。 御神紋 丸に違い柏 御鎮座 神護景雲元年(七六七年称徳帝在) 白山の嶺より天真榊に乗り給いて東國石川乃河上楢郷に着き給いて此神木に影向あらせ給い光を放ち給う。庶人奇異の思 いをなして人皇四十八代称徳帝の御宇奏聞を遂げ神護景雲元年九月十三日神託により此処(上の宮) へ社殿を造営した と、古版木に見える。その後風雪に朽ち兵火に焼失して現在地に遷座申しあげた。 神殿 桧皮葺き一間の春日造り
現在の神殿は文久, .4 (.八六·年)春日大社の第五十二次造営に際し払い下げを受け、氏子によって担ぎ帰り移築した ものである。 御神徳 奇御魂(くしみたま) 不思議な神霊による『子授けの御神徳』は古くから有名である。御神徳にあやかり授かった子供には『楢』『奈良』の字 を頂いて命名するのが慣わしであった。大阪の住友楢光、画家の小出楢重などである。 また、健康の優れない子供の場合、子供を神前に捨て子として健康を祈願すれば、丈夫な子に育っ霊能を授けて下さる子 供の守護神として広く崇敬されてきた。 幸御魂(さちみたま) 慈悲深いご神徳は、ご神井に豊かに湧き出る清水のように家族円満、家運隆盛の恩頼を考え給うのみでなく、長命与楽 のご神徳はつとに名高い。八代目市川団十郎は,族の繁栄を祈願して『ならの葉の広き恵みの神ぞとは此の..益井を汲 みてこそ知れ』と献歌と共に一族の名前を刻んだ井筒を奉納している。 和御魂(にぎみたま) 和光同慶の慈愛をもって万民を慈しみ給う御仁徳は、額づく人々に、大らかにして沈着な人となりを育み給い、学業成就、 いる。 和御魂(あらみたま) 武勇に秀で知略に長けたご神徳は、英知に優れ、苦難に雄々しく立ち向かう思慮に富んだ逞しい人柄を授けて下さる神とし て、激しい受験競争や複雑な人間関係の社会で活躍される人々にとって厚い信仰の的となっている。
摂末社 恵比須神社 祭神 恵比寿須神 稲荷神社 祭神 寅太丸稲荷大明神 厳島神社 祭神 市杵島比売命 |
薬師堂 の縁起 ここの薬師堂は、興願寺の脇侍堂てす。 興願寺は、興福寺の寺務所領として権勢 を振るっていましたが享保二年正月の大 火て全焼Lまし た。火災で文書が焼失し たため薬師堂の創建時代は詳らかではあ リませんが、言い伝え等から鎌倉時代中 期末創建と考えられています。 爾未幾度か修復を重ねて来ましたが、平 成十一年檀家信徒篤志により全面改築 し、今日の堂𡧃が便興しました。 ご本尊 ,厨子入瑠璃光薬師如来 右脇仏 投行者 左脇仏 弘法大師 かぼちゃ薬師の由来 ご本尊薬師瑠瑞光如来は、現世利益の仏 様として、厚く信仰されています。 昔,「癪」の病に苦しんていた人が「百 日参り」の願をかけて平癒を祈ったとこ ろ、快癒したのてお札参りにかぼばちゃを お供えしました。 この話を聞いて目を患っていた人が、同 じょうに願をかけてお参りし、御利益を 頂いたので、向じように、かばちゃをお 供えしました。 このような言い伝えから、いつの頃がら か、健康、長寿の霊験あらたかな「かぼ ちゃ業師」と親しんで委詣されるように なりました。 |