一言主神社地図

拝殿
祭神 葛城之一言主大神
    幼武尊(雄略天皇)
保護樹木(乳銀杏・チチイチョウ)
 幹の途中から乳房のようなものがたくさんでており、「乳イチョウ」「宿り木」とよばれている。
この木に祈願すると子供を授かりお乳が出ると伝えられており古くから親しまれてきた。
白い蛇が住みついているといわれ人々の信仰を集めている。
 幹周3.85m、樹高25m、樹齢1200年と伝わる。この銀杏が黄葉すれば奈良市内からも分かるとされている。
謡曲「土蜘蛛」と蜘蛛塚
 僧侶の姿に化身して源頼光の病気見舞いに行った害悪の権化蜘蛛は見破られると、「汝知らずや我むかし葛城山に年を経し
土蜘蛛の精魂なり」と大見栄を切り、千筋の糸を投げかけて頼光を巻き殺そうとした。
 頼光は枕元の膝丸の名剣で切りつけ、四天王渡辺綱たちは血の跡を追い蜘蛛の棲家をつきとめて遂にこれを退治した。
謡曲はこの説話をもとにして作られた。
 後世、その塚の辺りから発掘された筒石を庭に置くと、家運は傾き、病人が続出するありさまにまたもや蜘蛛の祟りかと恐れ、
これを安置して土蜘蛛灯籠として供養すると騒ぎは治まったという。
 そのように京で暴れた土蜘蛛も、今はもとの大銀杏の木陰の棲家で静かに眠っている。
謡曲⇒⇒⇒
拝殿 一言稲荷神社 水神 亀石
 雄略天皇4年(460)、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りに行ったとき、天皇一行とまったく同じ姿、
紅紐の付いた青摺りの衣を着た一行が向いの尾根を歩いていたので、雄略天皇が名を問うと、
「吾は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ神。葛城の一言主の大神なり」
と答えた。
天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がせて一言主神に差し上げた。
一言主神はそれを受け取ると、天皇の一行を見送った。
 続き⇒⇒⇒
 逆に不遜(ふそん)の言で土佐に流された説として、大和盆地で天皇家が成立する以前から
葛城山麓で栄えていた古代葛城王朝の遺民らが大和政権に逆らったために流されたと考える。
 境内には神武軍に退治された蜘蛛塚がある。
 神武東征の折、天皇軍は葛で網を作って襲い土蜘蛛を征したことから葛城という地名のもとになった。
神武天皇は葛で土蜘蛛を捕えた後、頭と胴と脚の三つに切って別々に神社の境内に埋めたという塚が
三つ伝えられている。
文徳天皇⇒⇒⇒ 雄略天皇⇒⇒⇒ 神武天皇⇒⇒⇒