今井町 散策ガイド

今西家重要(重要文化財)

 当家は、代々今井町の惣年寄の筆頭を勤めた家系で、
もとは十市氏の一族、川井権兵衛清長が十市氏に従って、
永禄九年(1566)当地に移住し、三代目より今西姓を名乗った。
司法権、警察観、を委ねられた当家は今井町の西端にあり、
前面道路は本町筋で、西側は環濠となる。
西端には堺に向える西口門が開かれ番人小屋がおかれていた。

 慶安三年(1650)「八棟造り(やつむね)」とよばれる豪華な町屋が、
惣年寄りの筆頭である今西家の手によってつくられた。
 西側に広い土間がとし、土間と部屋境には、段上の「広敷」があり、
土間を白州に見立てて簡単な裁きが行われた。
 北面に大戸を開き、西北隅に「しもみせ」を設ける。
 居室は六間取り、土間に添って「みせのま」・「なかのま」・「だいどころ」。
上手は「みせおく」・「なんど」・「ぶつま」となる。
間取り⇒⇒⇒
 西側にある環濠に影を映す今西邸、城郭を思わせる八棟造り。
八棟造りの民家は、江戸時代でもそう多くはなかった。
八棟造りが作られ、それが許されたのは、この地の町人の力の大きさであった。
 土間から上がった左手前が「みせのま」であるが、
「なかのま」より一段低くなっている。ここに階段があり
「みせのま」・「みせおく」の上のつしは畳敷きで、
奥の部屋には一段上がった床と押入れがある。
古い時期に床付きの部屋をつしに設けたのは例外的
なことであったろう。
 土間側の「みせのま」・「なかのま」境の柱は大黒柱で
33cm×31cmあるが、敷居と真を合わせるために、
畳の角が柱に当るので、その分は柱に切り込んで畳を納めている。
 「みせのま」の上即ち天井は,根太天井(ねた)となっている。⇒⇒⇒
「なかのま」・「だいどころ」・「なんど」の上は広い板間となっている。
別棟の角座敷の上は現在八畳の間となっているがもとはつしであった。
 また、「ぶつま」の上は一段高い棹縁天井となる、
つし二階上で仕切られており、仏様の上に人が入ることはできない。
 「みせのま」から「なかのま」を見る。
2階に通じる階段がある。
3枚の戸は格納された状態となっている。
 「みせのま」の奥に床付き「みせおく」がある。
間取り参照⇒⇒⇒
 
 突止溝に猿落としの穴が見える。これらの組み合わせで、
土間と居室を完全に戸締りをすることができる。
 土間には柱を立てず広い空間として残し、
桁行に長い大梁三本を架渡しこの上に南北方向の梁を架け
豪壮な梁組を見上げることができる。
⇒⇒⇒
 また、煙出し屋根の内側が見える。
 「しもみせ」と大戸の内側の土間上は板間とし、
つし二階とし、二室に仕切り、
それぞれ土間から梯子で上がるようになっており、
ここに「いぶし牢」がある。
「しもみせ」の土間側隅の天井を切りあけて、
昇降の際梯子をかけるようになっている。
 玄関を入り、上に「いぶし牢」となっている根太天井が見える。
西に土間、東に居室がある。
東南隅にある「しもみせ」  土間と「なかみせ」と
「だいどころ」の境にある柱。
豊田家ではこの位置にも
大黒柱を据えてある。
 土間と「みせのま」と「なかのま」の境にある大黒柱。
33cm×31cmあるが、敷居と真を合わせるために、
畳の角が柱に当るので、その分は柱に切り込んで
畳を納めている。
 「なんど」  手前が「なかのま」奥が「なんど」となる。  「なんど」と「なかのま」の境にある
帳台構えが一段と高くなっていある。
 土間から見た二段の広敷き、「なかのま」、
「なんど」を見る。
手前が「だいどころ」、奥に「ぶつま」  「なかのま」と「だいどころ」の土間境には
一本引の板戸が入り、南に戸袋が付いている。
主屋東南隅に接続する「つのざしき」も慶安三年(1650)の建立であることが知られる。
道路をみおろす出窓、城の矢倉のようなつくり。
東端の大壁には武士の時代の旗印
を示す三階菱。
正面西端の大壁に川の字を井桁
(いげた)でかこむ家紋。
煙出し屋根は、
主屋屋根に対して90°の
位置になっている。
 他に音村家や豊田家等
古い家に見られる。
煙出し屋根参照⇒⇒⇒
むしこ窓
「みせおく」の外 「みせのま」の外  駒つなぎの環
 正面玄関 「しもみせ」の外
 当家は、代々今井町の惣年寄の筆頭を勤めた家系で、もとは十市氏の一族、川井権兵衛清長が十市氏に従って、永禄九年(1566)当地に移住し、三代目より今西姓を名乗った。司法権、警察観、を委ねられた当家は今井町の西端にあり、前面道路は本町筋で、西側は環濠となる。西端には堺に向える西口門が開かれ番人小屋がおかれていた。
 建物は、棟札・鬼亙銘より、慶安三年(1650)の建設が明らかで、外壁を白漆喰塗ごめとし、大棟の両端に段違いに小棟を付け、入母屋造りの破風を前後くい違いにみせ本瓦で葺いて堂々と、民家というより城郭を思わせ、「八ツ棟」として広く知られている。
 二階正面の壁には、向かって右方に川の字を井桁枠で囲み川井氏の定紋を入れ、左には菱形三段に重ねた当家の旗印を付けている。定紋・旗印・屋根の形も威厳がある。 
 内部は、東側に二列六間取りの部屋をとり、西側は広い土間とし、北面に大戸を開き、西北隅に「しもみせ」をとるいわゆる今井町民家の六間取りの平面形式である。
土間に沿って「みせのま」・「なかのま」・「だいどころ」、上手は「おくみせ」・「なんど」・「ぶつま」となる。
「みせのま」と「おくみせ」の床は奥より一段低くし、「みせのま」には式台が、「なかのま」・「だいどころ」には長い「ひろしき」が付く。
土間側の「みせのま」・「なかのま」境の柱は大黒柱で33cm×31cmあるが、敷居と真を合わせるために、畳の角が柱に当るので、その分は柱に切り込んで畳を納めている。
また当家の「なかのま」と「だいどころ」の土間境には一本引の板戸が入り、南に戸袋が付いている。また「なんど」と「なかのま」境二間半のうち、南側は「なんど」に喰いこむ二段に棚が復原され、北側一間半は納戸構えとなる。「みせおく」には室内にはみ出して一間「とこ」があるため、七畳間となり、「ぶつま」北面東側に「なんど」に喰いこむ仏壇を作っている。「とこ」のような薄い落掛けでなく、丈の高い指物が入っている。また「ぶつま」北側西一間には「なんど」へ入る片引戸があり、「なんど」は「なかのま」と「ぶつま」から入ることができた。「ぶつま」のみは一段高い棹縁天井となるが、他はつしの床を受けるため棹縁を太くしつし天井とする。「ぶつま」の南側一間通りはもと四畳間であったと考えられるが、今は中間で仕切って北は「ぶつま」の押入れ、南は角座敷の二階への階段と押入としている。「ぶつま」の裏手に八畳間が突出しているが、ここも当初からのもので、もとは座敷風の部屋であったらしい。
 土間には柱を立てず広い空間として残し、桁行に長い大梁三本を架渡しこの上に南北方向の梁を架け豪壮な梁組を見上げることができる。
土間と部屋境には、段上の「広敷」があり、土間を白州に見立てて簡単な裁きが行われた。
 各間仕切りの突止溝、帳台構、正面通りの格子等はこの時代の特徴をよく表している。
 つし二階は「しもみせ」と大戸の内側の土間上は板間とし、二室に仕切り、それぞれ土間から梯子で上がるようになっており、ここに「いぶし牢」がある。「しもみせ」の土間側隅の天井を切りあけて、昇降の際梯子をかけるようになっている。
「みせのま」・「みせおく」の上のつしは畳敷きで、奥の部屋には一段上がった「とこ」と押入れがある。古い時期に「とこ」付きの部屋をつしに設けたのは例外的なことであったろう。「なかのま」・「だいどころ」・「なんど」の上は広い板間となっている。別棟の角座敷の上は現在八畳の間となっているがもとはつしであった。主屋南側に二階蔵、同西側に牢屋もあった。 
 主屋東南部に接続の「つのざしき」も同時代である。
 外壁は塗籠めであるが、一階正面は「しもみせ」は太格子、下框に馬つなぎ金具を付け、「みせおく」は西一間を高い格子とする。いずれも木太い。二階の窓も外側に塗籠めの太い格子を立て、城の櫓のような武骨さを持っている。
 今井町では最も古い民家である。
重要文化財今西家⇒