神泉苑地図

大鳥居 法成橋と善女龍王社
 真面目な願いを一つして、この赤い法成橋(ほうじょうばし)を渡り、
善女龍王社にお願いすると叶うと言われている。
 
 歳徳神(としとくじん)
 恵方社(えほうしゃ)があり、歳徳神(としとくしん)
が祀られている。360度回転させることができ、
大晦日に縁起が良いとされる方向(恵方)へと向きが
変えられるという。 
 
 御池(法成就池)に浮かぶ龍王船
 放生池(ほうじょういけ)は、昔の京都盆地が
湿地だったころの名残り、桜もある。嵯峨天皇
が行幸した最古の花見の記録がある。 
 
 本堂
 寿永元年(1182)雨乞いのため百人の白拍子が舞い、
その中に静(静御前)がいて源義経と神泉苑で始めて出
会ったと記されている。

 俳人 与謝蕪村も来苑し一句
   名月や 神泉苑の 魚躍る 
平安期にもステイホーム  羅城門 矢取地蔵  隋心院
下御霊神社  神泉苑   
平安宮跡

 平安時代この周辺一帯には、天皇の居所である内裏や現在の国会議事堂

に相当する朝堂院、国家の饗宴施設である豊楽院のほか、二官八省など数

多くの役所建物が右図ように建ち並び、国家の政治の中心地でありました。

  
 
大極殿での朝賀の図(南東から)
 庁朝賀とは、元旦に平安宮中央にあった朝堂院の正殿である大極殿に
天皇が出御され、皇太子以下文武百官から拝賀を受ける行事で、
平安時代はこの場所で行われていた。 
大極殿
 平安宮で最も重要な施設である朝堂院の正殿「大極殿」は、平安遷都の翌年、延暦14ねん(795)には完成。
天皇の即位式ほか、正月に行われる朝賀や御斎会(ごさいえ)、外国使節の謁見など、
国家の重要な行事がここで行われた。
 弘仁6年(815)には、地方から19,800人余り役夫が動員されて大掛かりな修理が行われ、
この時初めて屋根に緑釉瓦(りょくゆう)が採用されたものと考えられる。
 その後、貞観18年(876)4月16日夜半の火災で焼失。再建。その後3回焼失安元2年(1177)を最後に
再建されなかった。
 創建当初の大極殿は、東西11間、南北4間の寄棟造りの建物とみられ、
基壇の大きさは推定東西59m南北24m、朱塗りの柱や組物、屋根の大棟両端には鴟尾(しび)をのせ、
軒先や棟には緑鮮やかな緑釉瓦で縁取りされた豪壮華麗な建物であった。 

朝堂院(ちょうどういん)

 朝堂院は八省院ともいわれ、現在の国会議事堂に相当する南北470mを

越す大規模な施設です。正門の応天門を入ると左右に朝集堂があり、さら

に会昌門を入ると12堂が建ち並びそれぞれに役人の座が設けられてい

ました。12堂の北側には、身分差を表す龍尾壇が設けられ、広場の東には

青龍楼。西には白虎楼がありました。

この交差点の北側に平安宮最大の建物で、屋根には緑釉瓦が葺かれた正

殿の大極殿がそびえていました。

豊楽院(ぶらくいん)

 豊楽院は、朝堂院の西隣にあった国家の饗宴施設で南北400mを越す

長大な施設です。天皇が出御されで新嘗祭,大嘗祭の宴や、正月慶賀。相

撲節会・射礼などの国家行事が、ここで開催されました。

これまでの発掘調査で、正殿である豊楽殿跡とその北の清暑堂跡及び両建

物を繋ぐ廊跡が見つかり、史跡指定され保存されています。

 恵方社(えほうしゃ)があり、歳徳神(としとくしん)が祀られている。360度回転させることができ、大晦日に縁起が良いとされる方向へと向きが変えられるという。
 延暦13年(794)に桓武天皇平安京を造営した際、大内裏の南にせっして東西200m、南北400mの広大な禁苑(皇居の庭)を設けた。
平安初期の各帝は、ここに行幸し、詩賦(しふ)や観花、遊宴、舟遊、弓射などを楽しんだという。
 天長元年(824)、弘法大師の「天長の祈雨」が行われて以来、宗教的な場として利用されるようになる。
しかし慶長7年(1602)の二条城築城の際に、ほとんどが壊されてしまったため、慶長12年(1607)から元和年間(1615〜24)にかけて、
池畔や堂塔を整え、天長の祈雨の際に空海が祈った善女龍王を苑中央にある池の島に祀った。
 現在は、東寺真言宗に属し、毎年5月1日から4日間の神泉苑祭には、壬生狂言の流れを汲む神泉苑狂言が執り行われる。
 神泉苑狂言は、円覚上人が布教の際、身振り手振りで説法したのが起源であると伝えられている。
 「源平盛衰記」には醍醐天皇の時代、宣旨に鷺さえも羽をたたんで、かしこまった話がのせられており、謡曲「鷺」には、
これをもとにつくられている。俗に「五位鷺」というのは、このとき天皇から五位の位を賜ったことから、
このようによばれるようになったといわれている。
謡曲⇒⇒⇒
 平安遷都のころ、大内裏の南側に広がっていた湿地帯を利用して造営された禁苑(天皇の庭園)が神泉苑のはじまりだという。
 京都の地形は北高西南低で、昔この辺は湿地帯となっていたが、それをうまく利用して禁苑としたのが神泉苑である。 
 
 斉衡3年(さいこう・856)ここで祈雨修法(きうしゅうほう)が行われ、神泉苑は雨乞いや御霊会など宗教的な霊場としての色彩を急速に強めていく。
 貞観11年(868)疫病の流行に際し、鉾を66本造り神泉苑に集まり行列する。これが祇園祭りのはじまりと言われている。
 八坂神社の竜穴は、地底をたどり、苑内に通じているともいわれている。神泉苑は竜神を呼び寄せ、疫病神や怨霊を祀るための神聖な異界であった。
 歳徳神( としとくじん)
 その年の福徳を司る吉神と言われる。八将神の母の神。
年の始めにまつる神で、この神のある方位を明の方又は恵方(吉方)ともいい、万事に吉とする、
正月元旦にこの方角にある神社仏閣に恵方詣りと称し参詣し、一年の吉福を祈る。
恵方の方角について、
 甲(東北東微東、75°、甲・己の歳)
 丙(南南東微南、165°、丙・戊・辛・癸の歳)
 庚(西南西微西、255°、乙・庚の歳)
 壬(北北西微北、345°、丁・壬の歳)
干支⇒