當麻蹶速地図

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當麻蹶速塚(たいまのけはやづか)  當麻町相撲館けはや座
  本場所と同じサイズの土俵
當麻蹶速像
 相撲の始祖として知られる當麻蹶速塚と伝えられている。
 「日本書紀」によると、垂仁天皇7年(紀元前23)、自分の強力を自慢していた當麻蹶速と出雲の野見宿祢とを天皇が力比べさせた。
これが日本初の天覧相撲となり、蹶速は脇骨を蹴り折られて死んでしまった。宿祢は蹶速の領地を賜り、
命をおとした蹶速の墓が當麻に建てられました。
これが現在まで貴重な遺跡として残されている五輪塔です。
伝承の上では、蹶速は高慢なように言われていますが、実際は都ずれしない素朴で野性的な性格の人で、
当時の人々から親しみをもたれていました。
相撲の起源 志賀清林の墓  神魂神社
野見宿祢 垂仁天皇  相撲神社
建武雷之男神と建御名方神の戦い 十二柱神社・野見宿祢・泊瀬列城宮 土師氏  
 當麻蹶速にちなんで建てられた全国でも珍しい相撲館。
 番付約1000点、取組表・星取表500点、錦絵60点、古書の相撲秘訣、相撲起顕、金剛力士伝、
太刀山等40点他約10000点。
他に化粧回し、明け荷、板番付、相撲玩具等があり、館内には本場所と同じサイズの土俵があります。
野見宿祢のゆかりの地、桜井市出雲の十二柱神社には、宿祢を祀った古ぼけた石の五輪塔が立っている。
 昔、当麻に大へん力のすぐれた人があった。名を当麻の蹶速といった。角をさき、カギを真っすぐにのば

したりすることは、いと易く、その上、足で人をけり倒すことも上手であった。「広い世の中に我と力くらべ

をして勝つものはない」と心に思い人にも語っていた。時の天皇が「彼と力合わせをする者は誰かいないか」

とお問いになると、「出雲の国に野見宿祢という者がいます。彼こそ力はすぐれています」と申し上げた者が

あった。「さらば彼を召せ」との仰せがあった。その日に倭直の祖である長尾市という者を勅使として野見の

宿称を召された。七月七日を期して蹶速と、すくねの二人に角力を取らせられた。たがいにけり合って遂に、

蹶速は脇骨をけり折られて生命を失った。その時、賞として野見宿称は、蹶速所有の地を賜ったという。大

字当麻にある五輪塔は、いつの頃からか当麻蹶速の墓といわれるようになり、角力関係者の信仰の対象となっ

ている。一に当麻国見の墓ともいわれるが、五輪塔は鎌倉期の作である。