十二柱神社・野見宿祢・泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)地図

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祭神 神世七代(かみよのななみ)の神
 国之常立神
 豊雲野神
 宇比地邇神・須比智邇神
 角杙神・活杙神
 意富斗能地~・大斗乃弁神
 母陀琉神・阿夜訶志古泥神
 伊邪那岐神伊邪那美神

地神五代の神
 天照大神
 天忍日命
 天津日高日子番能邇邇
 火照命
 葺草葺不合命
リョウサンの池⇒⇒⇒
神世七代⇒⇒⇒ 
     
十二柱神社は出雲村の村社
 大昔は、神殿がなく「ダンノダイラ」(三輪山の東方1700mの
嶺の上にあった古代の出雲集落)の磐座(いわくら)を拝んだ。
明治の初めごろまで、年に一度全村民が「ダンノダイラ」へ登って、
出雲の先祖を祀り偲んだ。
一日中相撲をしたり遊んだり食べたりした。 
写真右地図
「ダンノダイラ」へご案内
大昔の「出雲ムラ」跡(伝承地)古代の新聖地・信仰の霊場

急坂(足もと注意)を約100m登ると三輪山山頂から尾根道に出会う。
東(左)へ約200mでダンノダイラ西端

奈良県桜井市出雲
野見宿祢顕彰会 
   
野見宿祢顕彰碑、五輪塔 
出雲ムラの伝誦
野見宿祢
 日本の相撲のはじまりである当麻蹶速と相撲して勝った野見宿祢はこの出雲に住んでいた。
 野見宿祢塚は明治16年まで、出雲村大字太田小字塔の下にあった。
 野見宿祢は相撲の神様であり、埴輪の神様である。
五輪塔
 高さ2.85mの巨大な五輪塔は、鎌倉時代のもので野見宿祢塚の上にあった。
 四面に単独梵字仏(20体)と、地輪に1字1石経(23)がおさめられている全国でもめずらしい古塔である。
狛犬とそれを支える力士像
 土師部の子孫が土器作りの高い技術と経験を石材彫刻に活用した埴輪の味がする芸術作品である。
 更に狛犬を支える力士像(8体)は、それぞれ異なった姿形力士像で写実的に力強く表現しており、
 相撲と埴輪の集大成した傑作である。
出雲ムラの土人形
 明治に初めのころまで出雲ムラあげて土人形作りをしていた。(窯元10軒、売店30軒、当時ムラ戸数110)。
 当時の出雲ムラの地場産業で、ムラは大いに賑わっていた。
相撲の開祖で埴輪の発案者として知られる野見宿祢は、この地の出雲の人とも伝えられている。
ルーツは埴輪に遡るともいわれる出雲人形は、古くからお伊勢参りや長谷詣で賑わう伊勢街道筋の
お土産物として親しまれてきた。
神魂神社⇒⇒⇒
野見宿祢⇒⇒⇒
垂仁天皇⇒⇒⇒
相撲神社⇒⇒⇒
建武雷之男神と建御名方神の戦い⇒⇒⇒
當麻蹴速⇒⇒⇒
志賀清林の墓⇒⇒⇒ 
     
 狛犬の台座を支える力士像、狛犬一対で8体の力士像。
武烈天皇泊瀬列城宮址の碑 武烈天皇社
武烈天皇泊瀬列城宮伝承地

 武烈天皇は、小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかさざぎ)尊とあり、仁徳天皇
 鷦鷯(おおささぎ)と対の名をもつ。
これは、仁徳の皇系が武烈天皇で絶えるため、仁徳を聖帝、
武烈を暴君として描くのと同じ考え方。
武烈があまりの悪政非道な政治をしたから、仁徳の皇系は絶え
たことを記紀では強調しているが、じっさいのところはわからない。
壇場(たかきみくら)を泊瀬列城に設けたとあり、初瀬谷の中央、
この出雲の地あたりかと考えられている。

天皇の宮⇒⇒⇒
 
 地図

野見宿禰塚の由来

 『日本書紀の垂仁天皇条に 野見宿禰は国技相撲の開祖であり

また埴輪起源説話の土師連の祖でもあることが記されている。

 その野見宿禰の塚がここから西南約一五〇メートルのところに

一八八三年(明治一六)まであ た。

直径二〇メートル以上もある豪壮な塚で.その上に、巨大な五輪

塔(十二柱神社境内に現存)が置かれており,大昔から近在の人々
や力士が常々お詣りをしていた。

 それが、明治十六年に、突然取壊された。

 そのとき,塚の中にあった朱を捨てたところ初瀬川が三日三晩赤
く染まっ
た。親子勾玉(子持勾玉)や埴輪,直刀土器などが出土した
との伝説が今も
伝えら札ている。

 なお、この付近から一九六七年(昭和四二)に蠅文 弥生須恵器
など多数の
破片が採集さ,,文の大昔から,人が住んでいたことが
推察さ札た。

 ここは,古代の市場「暑殿庄」(あるいは、申川・平田・蒔田とも呼称)

伝承地の西端にあたり纏向「ダンノダイラ」出雲〜狛峠〜字陀の

古道にも沿っている。

 古代史の謎をかかえた地である。


   二○○○年初春

     相撲開祖 野見宿禰顕彰会