竹之内街道・石切場跡・岩屋・鹿谷寺跡
石切場跡(地図) | ||||||
二上山南西麓に位置し、古代石棺や建築材料として使われた石の 切り出し場。 二上山付近で産出されるほとんどの凝灰岩(ぎょうかいがん)は 溶結(ようけつ)凝灰岩で、色が白いことから二上山白石(しろいし)と 呼ばれている。 古墳時代後期に近畿で家形石棺が作られるとその材料として利用され、 奈良県内では藤ノ木古墳、高松塚古墳、赤坂天王山1号 墳の刳抜式(くりぬきしき)家形石棺などに使われている。
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岩屋《国指定史跡》岩屋峠の南約 20mに位置する奈良時代の石窟寺院跡。標高 350m 大小二つの石窟があり、大きい方は間口 7.6m、奥行き 4.5m、高さ 6.14m で、石窟を穿ち、 内部に基壇上に立つ多層塔を、地山から造りだし、北壁の上部に坐像の中尊と立像の 両脇侍を浮き彫りにする三体像が見られるが、剥落が著しい。 石窟天井に、垂木などを差し込んだと見られる孔列があり、前面に覆屋が石窟から出ていた ことが知れる。 窟内が堂であり、かつてここを中心に堂舎が設けられていたことを窺わせる。 また 石窟の南側岸壁を穿って小石窟を造っているが、龕(がん)のようなものと考える (間口 1m、奥行き2.5m、高さ 1m 前後)。前者と同様石仏が認められる。 多層塔は、大石窟のほぼ中央にある、総高 1.4mの二段からなる基壇の中央に建っているが、 頭部が破損し、現存部は高さ 2.1m、三重まで数えることが出来が、当初から三重であったか どうかは不明。 初層の軸部は、北面で高さ0.72m、上部の幅0.89m、下部0.92mを測り、二層·三層と漸減して いるが、軒の出は軸口が破損していて、つまびらかでない。 石窟寺院は日本では珍しく、唐に留学した僧が、大陸の石窟寺院をみて、模したものだろうと 言われている。 なお付近から、須恵器·土師器·万年通宝などが出土しており、その創建年代を知る手掛りと なっている。 |
柵の中に自生している半夏生・半化粧(はんげしょう)(2012-6-30) 半夏生:半夏(はんげ)の生える頃の意味。夏至から11日目。太陽暦では7月2日ころ。 半化粧:花穂を出す頃、上部の葉の半ばが白くなることに由来する。 ドクダミ科の多年草。ドクダミ同様、異臭がある。草丈60~120cmになる。6月~8月に茎の先端から 花穂をのばし、花弁のない黄白色の小花を多数つける。この時花序の下の葉の基部よりの部分に白斑がでる。 |
千年杉(岩屋杉) | 石窟と三層塔婆 | 竹之内峠0.7km 二上山雄岳1.2km 祐泉寺 0.7km |
鹿谷寺跡(ろくたんじ) (地図) |
竹之内街道の途中、岩屋峠へ出る三叉路の地蔵堂より北方500m、二上山雌岳の中腹にあって、 十三重の石塔と洞窟仏とが現存している。 十三重多層塔は、地山を堀って造成されたと伝えられている。また塔の南面には、舎利孔が穿たれ ている。石窟内の三尊坐像は、比較的保存状態も良く光背や衣の襞、蓮華坐も認められる。 岩屋とともに大陸の影響をうけるもので仏教関係の遺跡として貴重なもの。 この遺跡は、凝灰岩の石切場跡に造られた8世紀頃の寺院の跡で、寺の中心部は、石切場跡の尾根 を幅10m程度南北に切り出して造成されている。 遺構としては、凝灰岩製の十三重多層塔と浅い石窟に線刻された三尊坐像、及び西側岸壁寄りの小岩魂 に浮彫された仏立像一体がある。 |
鹿谷寺跡石造り十三重塔は、木造塔の模倣ではなく、塼塔(せんとう)の模倣という唯一の例外である。 日本には塼塔はない。 しかし、唐の都長安には慈恩寺の大雁塔(だいがんとう・七重)、薦福寺の小雁塔(せんふくじ・十五重)が 残っている。 |
凝灰岩でできた山を削りとった部分と完成した 十三重多層塔。 付近から和同開珎(708初鋳)が出土している。 近つ飛鳥博物館展示資料より。 |
鹿谷寺跡から飛鳥方面を望む | 二上神社口駅から二上山登山途上 |
竹之内街道⇒⇒⇒ |