十輪寺地図
十輪寺 通称・業平寺。天台宗の古刹で嘉祥3年文徳天皇が染殿皇后の 安産祈願のた伝教大師作延命地蔵を安置したのが起りといわれている。 在原業平が晩年閑居され、塩焼きの風情を楽しんだといわれており、 塩竃の旧跡と宝篋印塔がある。また、花山法皇が西国観音霊場をされた 時に背負った草分け観音がある。 |
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業平の塩竃跡 在原業平が、台頭する藤原氏におさえられ、十輪寺に隠遁をしたのは 晩年のことであった。塩を焼いては心を慰めていた業平は、かっての恋人、 二条后が大原野神社を訪れたとき、塩を焼いて紫煙にその思いを託すと、 それに呼応するかのように二条后は悲しみの涙にくれたといわれている。 |
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小塩山(おじお)と号する天台宗の寺院である。 平安時代の六歌仙の一人で「伊勢物語」でも知られる在原業平が晩年隠棲したと伝えられ、なりひら寺とも呼ばれる。 寺伝によれば、嘉祥3年(850)、文徳天皇の后・染殿皇后(そめどの)の安産祈願のために、比叡山の恵亮和尚(えりょう)を開山に請じて創建したものと伝えられている。以後、勅願書として栄えたが、応仁の兵火により堂宇は焼亡し、江戸時代の寛文年間(1661~73)に、公卿の藤原定好(さだよし)により再建され、更に、藤原常雅(つねまさ)により堂宇が整備され、現在に至っている。 鳳輦形(ほうれんがた)という珍しい屋根をした本堂には、皇后の安産祈願に霊験があったといわれる本尊の地蔵菩薩(腹帯地蔵)や、花山天皇が西国巡礼の際に背負っていたと伝えられる十一面観音(禅衣観音・おいずる)を安置している。 また、本尊の裏山には、業平の墓と伝えられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)や業平が塩を焼いて、その煙にかっての恋人・二条后(藤原高子・たかいこ)への思いを託したといわれる塩がまの跡がある。 毎年5月28日の業平忌と11月23日の塩がま清祭(きよめさい)には、三味線に似た三弦を用いた三弦法要が営まれる。 |
ほうきょういん とう ほうけふいんたふ【宝篋印塔】 宝篋印陀羅尼の経文を納めた塔。 方形の基礎・塔身・蓋からなり,蓋の上に相輪を立てる。 蓋の四隅に隅飾り突起がついているのが特徴。 のちには供養塔・墓碑塔にも用いられた。聖塔しようとう。 |
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