室宮山古墳地図

 
宮山古墳と金剛・葛城山麓 
奈良橿考研 展示より
 
宮山古墳の埴輪 
奈良橿考研 展示より
 下街道をすぎた、室(むろ)に室の大墓と呼ばれた雄大な前方後円墳がある。全長238mは大和西南部最大、
山の辺の道崇神天皇陵に匹敵する。
武内宿祢、襲津彦の墓と言い伝えられた墓である。発掘の結果、二つの竪穴式石室と、
一個の豪壮な長持形組合せ石棺、大型の形象埴輪群を出土した。古墳時代中期、5世紀前半の墓である。
 磐之媛命の父の襲津彦、祖父は武内宿祢
 御所市。
秋津遺跡⇒⇒⇒

 古墳の大きさは全国でも20番以内に入る規模。周囲には周濠が巡っており、一部は今も残っている。

被葬者は、5世紀に奈良盆地南西部に巨大な勢力を築いた葛城氏の始祖とされる葛城襲津彦(そつひこ)
の名前があがる。

 近鉄御所駅から奈良交通の五條方面行きのバスに乗り、宮戸橋で歪。近くに駐車場はない。

 過去の発掘調査で神獣鏡片や鉄剣などが見つかっている。埴輪は県立橿原考古学研究所付属博物館
(橿原市)に展示されている。

 
 宮山古墳の埋葬施設復元模型(葛城市歴史博物館)

 国の文化審議会は17日、奈良市の史跡興福寺旧境內と御所市の史跡宮山古墳の

範囲を広げ、 追加指定するように文部科学相に答申した。

 興福寺は710 (和銅3) 年に藤原氏の氏寺として平城京外京に創建され た。度重なる
天災や戦火で被災したが、創建当時の伽藍を復興し、古代以降の宗教儀礼や信仰を
考える上で重要という。全回は、現在の指定地(約1万2715平方m)に瓦窯跡(約908平方
m)が追加される。

 瓦窯跡は3基が奈良時代 後半、9基が平安時代後期~鎌倉時代のもので、奈良時代
後半のものは2017年の発掘調査で見つかった。 創建期の寺の屋根をふいた瓦をつくっ
ていたとみられる。

 宮山古墳は古墳時代中期に築造された墳長238mの大型前方後円墳。今回は指定さ
れている1万3886平方mに暗塚のネコ塚古墳の一部など約2757平方mが追加される。
   2021-12-18  朝日新聞(米田千佐子)

 
 2021-12-18  朝日新聞




























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